タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

安倍晴明は日食を予言できたか?

 今年のNHK大河ドラマは、主役の紫式部と準主役の藤原道長を中心に物語りは進むが、脇役として陰陽師安倍晴明が登場する。今日は、安倍晴明が日食を予言できたか考えてみた。
 安倍晴明は『日本紀略六』に天延3年7月1日(975年8月10日)「空が墨のように暗くなり,多数の星が見え,鳥が乱れ飛んだ。」という内容を記録している。明らかに皆既日食の記録と思われる。安倍晴明天文博士に任じられて間もない54歳の時であった。 
 
 上図は日食の説明図である。日食は、地球と太陽の間に月が入り一直線上に並ぶ時に起きる。上図左上のゼロ点位置で皆既日食が起きたとして、その6ヶ月後に右下の位置まで来た時、この図を見ると再び日食が起こるような位置関係となるが、日食は起こらない。日食が頻繁に起こらない理由は、月が地球を回る公転面が、黄道面(地球が太陽を回る公転面)に対し5度ほど傾いているからである。
 EXCELに計算式を入れて、日食がどういう周期で起きるかを計算してみた。日食は新月の時に起きるが、新月から次の新月までを1朔望月とすると、日食が起こる可能性があるのは、N朔望月経過した時 となる。次に、月は地球の回りを公転しているが、前半は黄道面の北側を回り、後半は南側を回ることになるので、一周する間に黄道面を2回横切ることになる。上表の列R(Aの小数部)は、N朔望月経過した時点で月が何回公転したかの小数部を表し、この値が0~0.5の間の時は月が黄道面の北側にあり、0.5~1の間の時は月が黄道面の南側にあることになる。従って、この列の値が0または0.5または1に近い時に日食(部分日食)が起きることになる。ただ、日食は地球上のどこかで起きているが、前と同じ地点で起きているわけではないので、もう一つの条件として、地球の自転回数の端数(S列:Bの小数部)も追加して考える必要がある。
 私の計算だと、皆既日食から37朔望月後(およそ3年後)に、安倍晴明は部分日食を経験した可能性が高いことになる。当時は太陰暦を使っていたのだから、もし日食を2回観測できたのなら、「日食は一日(朔日:月初めの新月の日)に起こる」ぐらいは推測できたであろう。しかしながら、次の日食がいつ起きるかは全く見当も付かなかったに違いない。

P.S.
 本日放映された大河ドラマでは、一条天皇即位(986年)の後に藤原家に招かれた安倍晴明のシーンがあった。皆既日食から11年のこの時、安倍晴明は65歳になっていた。藤原政権の裏で暗躍する安倍晴明の姿が透けて見えた。

 卑弥呼が中国の魏から「親魏倭王」の称号を授かったのが239年、亡くなったのが247年のこととされている。天文学者の斉藤国治(旧東京天文台教授)は、この卑弥呼が亡くなった年に皆既日食が起こり、近畿では、太陽が半分ぐらい隠れてから日没となり、北九州では皆既日食となって真っ暗になりそのまま夜になったと推定する。これが、天照大神の「天の磐戸」伝説に発展した可能性は十分ある。