タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

秋分の日に考えたこと

 今日は秋分の日で祝日である。先日のブログで、秋分の日は日本以外の国では祝日ではないと書いたが、たとえ祝日でなくても、今日は全世界で秋分の日であり、英語では autumnal equinox と呼ぶ。(因みに equinox は昼夜平分時という意味になる)。
 秋分の日は二十四節季の一つであり、明治初期に太陽暦に変わる前、すなわち太陰暦の頃から使われているのに、その定義は太陽の運行に基づいて、まるで太陽暦に従っているように見える。不思議に思い今日はその辺りを調べてみた。

 江戸時代の人々は、旧暦(太陰太陽暦)のなかで暮らしていた。今のような新暦(太陽暦)を使い始めたのは、明治6年(明治5年12月3日を新暦6年1月1日とした)からである。二つの暦の違いは、地球に対する月の運行を基本にするか、太陽の運行を基本にするかである。旧暦は月の朔望(さくぼう:満ち欠け)を基準に置いていた。月の満ち欠けの周期(一朔望月)は、29.5306日(実際には29日と30日ある月を配置)。これを1カ月として、単純に12倍して1年とした。29.5306日*12=354.0432日となり、1年(地球の公転周期:365.2422日)に対し約11日間足りない。これを補正するため旧暦では閏月が設けられ、およそ3年に一度は1年が13ヶ月ある年として、暦の季節と実際の季節に差が生じないようにした。このようにして決まる旧暦では、毎月毎月15日の夜が十五夜で満月の夜となる。そしてこのように決まる旧暦の中に二十四節季が配置されたが、基準が冬至で、次の冬至までの1年間を24等分する形で配置された。従って旧暦(太陰太陽暦)は、月の朔望を基準とする太陰暦の中に、太陽の運行を基準とする二十四節季を組み入れる形となっている。
 私は、旧暦では、同じ弥生3月でも、年によって季節の進み度合いが変わるので、農業の種まき時期など分からず苦労していたのではないかと思っていたが、農業は二十四節季を基準に行えば良かったわけで、明治までは、別に旧暦を使用していても大きな問題は無かったわけである。
 ところで、現在は太陽暦が世界標準となっているが、太陽の運行は、というか、太陽の回りを回る地球の公転は一定と考えて良いのだろうか?

 上図は、地球の公転が一定とならない3つの要因を示している。1つ目が離心率で、およそ10万年周期で真円に近い状態から楕円に近い状態まで公転軌道が変化する。つまり、秋分の日における地球の位置が、昨年と今年で微妙に違うことになる。2つ目が地軸傾斜で、およそ4万年周期で最大24.5度、最小22.5度の間で変化する。傾きが大きくなれば、高緯度の夏はより暑く、冬はより寒くなる。3つ目が歳差運動で、およそ2万年周期で地軸が「みそすり運動」する。現在、真北の天空にある北極星が1万年後にはもう真北に位置しないことになるし、もっと大きい影響は、現在の地球の冬至位置が、1万年後は夏至位置になる。この影響は大きく、秋分の時の地球の位置は、1つ目の要因以上に3つ目の要因で変化する。
 現在地球は、歳差運動の周期の2万年で寒暖がゆっくり変化していると考えられており、この周期は一番最近では、約8000年前の縄文時代早期が最も暖かったが、現在は寒冷化の過程にあると考えられている。もちろん、この考えは、地球と太陽の関係から導き出せるものであり、温室効果ガスの影響は入っていない。
 今日はまた、誰も聞いてくれないようなうんちくネタを極めてしまった。