タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

2つの方針転換から見える「戦略」の本質

 最近2つの方針転換に関する発表があった。一つ目はフォンデアライエン欧州委員長が、パリで開かれた「原子力エネルギー・サミット」において行った演説である。彼女はここで、ドイツなどの脱原発政策を念頭に「欧州が(原発に)背を向けたのは戦略的誤りだった」と述べた。2つ目はホンダの発表で、2026年3月期決算で巨額の赤字を計上する見通しとなったことを述べた上で、EVへ急激に舵を切った同社の戦略が間違っていたことを事実上認めた。
 さて、「原発ゼロ」と「EVシフト」を強力に押し進めたドイツは、この戦略の間違いを今 どのように受け止めているのだろうか? 日本の知識人の中には、「原発ゼロのドイツを見習え」とか「EVシフトに乗り遅れたトヨタ」とか、誤った見解を述べて世論をあらぬ方向へ誘導しようとする輩が沢山いたが、今頃どうしているだろうか?
 戦略とは戦いを略すものでなければならない。中国や米国が使う戦略という言葉からは「戦わずに勝つ方法」という意味が透けて見える。2大国家の戦略の裏には「勝つこと」という目的があるのである。私は、国の戦略の目的は勝つことではなく生き延びることにすべきだと思っている。理由は簡単である。地球上での進化の歴史は、今地球上に残っている生物種は強者ではなかったことを物語っている。他を圧倒するような強者はいずれ滅びる。たとえ弱者であろうが、環境の変化に対応でき、生き延びた者が最終的には勝者となるのである。
 国が生き延びる戦略とは、第一には安全保障戦略になるが、アメリカの国防総省やCIAが考える戦略はあまりにも勝つことに比重を置き過ぎている。日本には、もっと世界の緊張緩和に資するような戦略があって良いのではなかろうか。また、「原発ゼロ」政策は、エネルギー安全保障の観点からは大変まずい戦略であった。そして、EV車へシフトし過ぎた欧州自動車業界には反転の兆しが見えない。欧州は移民問題も深刻であるが、これも移民という安い労働力を重視し、移民が入って社会が壊れるというリスクに目を向けなかったからであろう。つまり、国家の戦略とは、経済性という効率上の多少のデメリットに重きを置かず、生存の継続性に対するリスクを最大限に排除するものでなければならない。

春の訪れあれこれ

 今日は庭木(ツゲ、ナンテン)の雪囲いを取り払った。来週以降で気温上昇の予報であり、雪はもう降らないだろうと思ったからである。

 今年は福寿草の開花が遅いと思っていたが、今日ここまで来て、花どころか芽も出てない状況を前にして、『枯れた』と判断した。生き残りの1本は別株なのであろうか? 春を呼ぶ花なので、どうか生き延びて元気に育って欲しいと願っている。

 家庭菜園の方では、ブロッコリー(写真左)が大きくなってきた。先月上旬に降った雪で防虫兼雪除けネットの支柱が倒れ込んでしまったので、雪が溶けた2月下旬にネットを取り払った。そうしたら、鳥さんが来てブロッコリーの葉を食い散らかし坊主にした。慌ててネットを再度張り今日に至っている。不思議に思うのは、『ブロッコリーの葉は鳥にとって栄養素に成り得るのか?』という点である。というのは、牛や馬などの草食動物は長い腸内の細菌類が草を栄養素に分解してくれるから草食動物として生きて行けるのだが、腸の短い鳥が草や葉を食べても栄養になんかなるはずないだろうと思うからである。まあ、人間と同じように、ビタミン補給のためにブロッコリーの葉を食べるのかもしれない。
 写真右の大根は、種まきが遅れたためまだ小ぶりであるが、そこそこの太さになってきた。ブロッコリーも大根も同じアブラナ科の野菜であり、人間にとっては大根の葉の方がおいしいと思えるのだが、鳥さんはなぜブロッコリーの葉ばかり食べるのであろうか?





我が家の三つの大地震

 今日は東日本大震災が起きた日。当時、我が家の住まいは東京の江戸川区にあり、当日出張中だった私は大阪で、妻と子供たちは東京でこの大震災を経験した。私は東京へ帰れず、妻や子供たちは学校や勤め先から徒歩で帰宅するなどの不都合を被ったが、幸いにして人的被害はなかった。
 東京に引っ越す前、私の勤め先は大阪にあり、家族は社宅で7年間過ごしたあと、近郊で建てた一軒家に移り住んだ。1993年に東京へ引っ越し、その2年後に阪神淡路大震災が発生した。家族には何等被害はなかったが、溜池を埋め立てた造成地に建てた我が家が被害を受けた。我が家は貸家にしてあったのだが、借主から「戸がぴったり閉まらない」と連絡があり、私は大家さんとして建具の修繕に十数万円を費やした。
 私は定年を期に富山へ引っ越した。2024年1月1日、私は富山のこの地で能登半島地震を経験した。数十秒間続く震度5強の激しい揺れを初めて体験した。ただ、人的には被害はなく、家財的には壁のひび割れ程度に収まった。
 日本に長い間住んでいると地震を何回も経験する。日本人は地震に慣れていると言える。長男の嫁はアメリカ人であるが、この嫁が産んだ子供がまだ10ヶ月であった時、東日本大震災が起きた。この大震災はその後原子力発電所の水素爆発やメルトダウンを引き起こし、嫁の実家からは「そんな危ない日本にいないでアメリカへ帰って来い」とのメールが入った。私も嫁の両親に「今住んでいる場所は、アメリカ国防総省が定める非難範囲(半径50マイル)以上に遠いから大丈夫」とメールを送ったりした。この大震災と原発事故がどれほど影響したか分からないが、嫁は1年後に第二子を産んだあと、その子がまだ生後2ヶ月にもならない内にアメリカへ帰って行った。そしてその2ヶ月後、長男は会社を辞めて嫁が住むアメリカへ渡って行った。もし東日本大震災が起きていなかったら、長男も嫁もずっと日本にいたかも知れない。大震災から15年、その1年後に生まれた第二子は明日で14歳になる。アメリカに住む孫たちは、日本語が通じない生粋のアメリカ人になった。

車検の代車について行けない

 今日は車検のためディーラーへ車を搬入してきた。今まで車検を受けていたショップが、ディーラーの統廃合で無くなってしまったので、今日は遠くなったディーラーへ車を預け、初めて代車に乗って帰ってきた(今まで帰りは徒歩だった)。私の車は平成23年式だから、今年で満15歳の老車になる。特にさしたる不具合もなく走っているので、日本車の耐久性は大したものである。
 今日は新車の代車に乗ろうとしていきなり戸惑った。エンジンをかける時はキーを回すものだと思っていたのだが、何と新車は、START/STOPボタンを押す方式に変わっていた。方向指示器を出そうとしてレバーを上げ下げしても、今までのようなカチッと嵌った感がないので感が狂う。信号機で停まればエンジンが止まるし、アクセルペダルを踏めばエンジンが始動する。極めつけは、家に着いて車庫に入れようとRにギヤを入れた時、インパネに後方カメラの画像が映し出され、車をバックさせ段ボールの緩衝材ギリギリまでに近付けようとすると、ピーピーとうるさく警報音が鳴った。なんだか、浦島太郎になったような気がした。今のところ、我が家には新車購入の計画はない。買うとしたら新しい中古車になるだろう。

国際法という欠陥法

1.勝負はもうついている
 イスラエルと米国によるイラン攻撃が続いている。オールドメディアは「イランの反撃も続いている」というが、ここ数日間その反撃が極端に減少してきている事実を報道しない。下図は開戦からここまでの、イランからの弾道ミサイルの発射数を示す。
    
 両者には圧倒的な戦力の差がある。制空権を奪われたイランは、レーダー網や反撃施設も破壊された中で、攻撃されっ放しのサンドバッグ状態に陥っている。イランが真っ当な国であるなら、民族の存続のため、トランプ大統領が主張する「無条件降伏」の受け入れも止む無しと判断すべきところだが、『死んだらアラーの神が導く天国へ行ける』と信じる革命防衛隊には、そんな選択肢は微塵も無い。
 上図にイランの体制を示すが、イランの癌は「最高指導者」と「革命防衛隊」だと言える。イランのペゼシュキアン大統領は周辺国への攻撃を謝罪し攻撃の自重を促したが、大統領の指示に従うのは国軍だけであり、革命防衛隊にはそんな制御が全く届かない。イランは周辺のテロ組織(ハマス、ヒズボラ、フーシ派)を支援し、暴力的な革命によりイランのようなイスラム原理主義の国を周辺地域にも建設しようと画策しているが、この暴力革命の推進役となっているのが革命防衛隊である。こんな危ない暴力組織がいると、回りの国が警戒するのも当然であろう。そしてその国が核兵器を開発していると言うのだから、周辺のアラブ諸国は、今回のトランプ大統領の決断と行動に賛辞を送って支持を表明したいところだろう。
2.国際法は欠陥法
 ただ、各国が表立って支持を表明できない裏には、「国際法違反」というメディアが撒き散らすネガティブキャンペーンがある。国際法を守っていたら、北朝鮮以上に危ないイランがいずれ核兵器を手にするだろう。そうなったら(北朝鮮は現体制維持を目的に核兵器を開発したが)、イランの目的は周辺国へのイスラム革命の輸出であるから影響は周辺国に及ぶだろう。もし革命防衛隊が核を手にしたら、第三次世界大戦のような空恐ろしいことが現実になるかも知れない。
 イランの革命防衛隊が非常にやばい組織であることは世界の常識である。それなのに、日本のオールドメディアは、やばいことには目をつむり、「国際法違反」を理由にトランプ大統領の批判に血道を上げる。国際法が完全なものならそんな論法も通用するのだが、現時点で国際法は欠陥法と言わざるを得ない。だいたい、ロシア、中国、イラン、北朝鮮には、国際法を守る意識が全くない。国際法に強制力を持たせる法の執行機関(裁判所や警察)もないのだから、そんな欠陥法を盾にことさら非難の弁を並び連ねる人達と真面目に議論することもできない。真面目な人達が、国際法を守ろうとすればするほど国際平和が遠ざかって行くのである。
3.国家を救う方法
 本日9日、イランの専門家会議はハメネイ師の次男のモジタバ師を最高指導者に選出した。ハメネイ師以上にやばいと評判のモジタバ師を選出するとは、自ら破滅への道を選んだに等しい。
 遠い日本という国から、イランが救われる道をこの若僧に教えてあげたい。まず第一に、革命防衛隊を武装解除させること。次に、自分が国の象徴的存在となり、政治や軍の指揮から手を引くと宣言すること。最後に、以上を条件にアメリカ・イスラエルと停戦条約を結び、周辺のアラブ諸国とも悪化した関係を修復すること。





WBCはNetflix独占放映

 WBCが始まった。どこの局で放映されるのかと新聞の番組欄を見たのだが、WBCの文字がどこにもない。何と今回のWBCはネットフリックス独占放映であった。しょうがないので昨日は途中までラジオ放送を聞いていた。大谷選手の満塁ホームランも、ラジオ越しの歓声に拍手を送った。
 途中から妻がスマホを差し出してきた。そこには、WBCの試合が映っていた。実を言うと長女宅には、結婚前から保有していた長女用と旦那用のAmazonプライムビデオのアカウントが二つある。昨日はその内の長女用のアカウントを貸してもらい、WBCをスマホ映像で見ることができた。世の中便利になったものである。妻はスマホにNetflixのアプリをダウンロードし、娘と電話連絡してパスワードを教えてもらい、スマホで観戦ができるようにしたみたいだ。今日は私のスマホにアプリをダウンロードし、私のスマホでWBCを観戦した。侍ジャパンは昨日今日と2連勝である。映像観戦できたのは娘のお陰である。娘と同世代の選手たちの活躍に酔いしれた。

戦乱と王朝交代に明け暮れたイランの歴史

 今日はイランの歴史を調べた。
1.戦乱と王朝交代のイランの歴史

 イランは、BC550年のアケメネス朝ペルシアの建国を起点として、2500年もの歴史を誇る古くから栄えた国である。ただその歴史は、隣国との戦争に明け暮れ、他民族の支配を何度も受けている。上図に示すイランの各王朝は統治した民族毎に色分けしてあるが、この地域の歴史は、アラブ系、トルコ系、モンゴル系など、ペルシア人以外の数々の他民族の侵略と支配を受けた歴史であった。このイランの動乱の歴史に比べれば、日本の歴史は平和そのものである。3世紀後半から始まる古墳時代に大和王権による日本統一が確立し、それ以降で王朝交代は全く無かった。室町時代後半には内乱の時代があったが、他民族との争いになったのは元寇と第二次世界大戦ぐらいであろうか。戦乱と王朝交代に明け暮れたイランの歴史と日本の歴史は大きく異なる。
2.「文明の生態史観」から見たイランと日本の違い
 元国立博物館の梅棹忠夫名誉教授は、著書「文明の生態史観」の中で、ユーラシア大陸の中の国々を2つのグループに分け、文明の発展の仕方の違いを考察している。

 梅棹氏によれば、第一地域に入る日本と第二地域に入るイランは文明の発展の仕方が異なると言う。確かに1.の図を見れば、王朝交代を繰り返すばかりで、王朝(専制君主制)という国の形を変化させずに20世紀まで永らえたイラン文明の停滞ぶりが、日本や西洋のそれと大きく異なることが分かる。梅棹氏は、この違いを生じさせる原因が、「(遊牧民が住む)乾燥地帯に近いか遠いか」だと言う。
 梅棹説によれば、文明の発展において大きな差がついたのは、「中世に封建時代を経験したか否か」の違いであるらしい。西洋や日本においては封建時代を経験し、この時代が地方分権的時代であったため、富を蓄えた資本家と優良な市民(江戸時代においては豪商と町民と言った方が良いかも知れない)が育ち、市民革命や産業革命を経て、民主主義と資本主義が発展したことになる。翻って第二地域をイランを例に評すれば、イランは国家自体が交代を繰り返すだけで、国家の形を発展させることなく、建国以来ずっと、日本の飛鳥時代のような国家体制(王朝体制)を20世紀まで温存させたと言える。
 第二次世界大戦以降、回りのアラブ諸国が立憲君主制の国へ移行したのに、事もあろうにイランは、革命を経てイスラム原理主義の「あぶない国家」に移行してしまった。イランの現在の苦境は、過去の因果の報いであると言って良い。
3.イスラム革命に至らしめた列強の帝国主義
 悪いのはイランばかりではない。こんなイランにした責任の一端は、イギリス、ロシア、アメリカにもある。

 上図は19世紀のカージャール朝の版図を示す。19世紀は帝国主義の時代で、欧米の列強が原料供給地と製品市場を求めて他国を植民地化した時代であった。カージャール朝は北からはロシアの南下政策、南からはイギリスの植民地政策に攻められ続け、領土割譲や不平等条約の受け入れを経て衰退していった。この衰退の最中、1901年にイギリスにより中東初の石油が発見され、イラン経済はますますイギリスの従属下へと転落していった。
 イギリスとロシアの干渉で風前の灯火となっていたカージャール朝にクーデターが発生し、1925年に軍人のパーレビが初代皇帝として即位した。このパーレビ朝の第2代皇帝となったパーレビ2世は、アメリカの支援を受けて「白色革命」と呼ばれる石油利潤を元にした工業化と近代化を進めたが、原油価格の下落と急速な近代化の失敗から経済危機を招いた。このアメリカ石油資本と組みアメリカの傀儡政権となったパーレビ王朝は、独裁体制による抑圧と石油ブーム下での貧富の差拡大から国民の支持を失っていった。アメリカ支援のこの王朝政権が結果的にはイラン・イスラム革命を引き起こすきっかけとなったのだから、こんなイランにした最大の責任はアメリカにある。そしてその遠因を作ったイギリスやロシアにも責任の一端がある。