タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

神無月の最終日に考えたこと

 今日で10月も終わる。日本では最近、今日はハロウィンの日で、仮装して街に繰り出す日となっているようだ。ハロウィンの起源となったサウィン祭りは、ケルト人(ローマ帝国時代、帝国の北西、今のアイルランド付近にいた民族)にとって、夏の終わりと冬の到来、放牧の終わりを告げる祭礼である。この日は世界の法則が乱れることにより、現世と異界がつながってしまうと恐れられていたため、ケルトの人々は子供などの人身御供を捧げることで神の脅威から身を守っていた。神に生贄を捧げていた恐怖の祭りを、最近は、神への怖れも知らない日本の若者たちが楽しんでいる。これも日本が平和であるお陰であろう。
 一方で今日は神無月の最終日であり、出雲に集まっていた神様たちがそれぞれの国へ戻る日となる。最終日には当然宴会を催し、そこでは互いの安寧を念じ、来年の再会を誓うことになるのであろう。日本の神様たちは、争い事をせず平和に暮らしていらっしゃる。

 多神教の日本が平和であるのに対し、一神教を信じる国々の間では争いが絶えない。上図は、一神教であるユダヤ教キリスト教イスラム教の比較であるが、注目すべきは、これらの3宗教の「神」は、呼び方は違えど同じ神だという点である。3宗教とも同じ神を信じながら、神の教えを語った人物とそれが書かれてある教典の違いから、互いにいがみ合い、今月に入ってとうとうイスラエルハマスが戦争状態に陥った。
 ユダヤ教の根底には「選民思想」があり、ユダヤ人のみが救われるというエリート意識が垣間見えるが、他を認めないという排他的意識はなかった。キリスト教はこのユダヤ人のみというところを排除し、全ての人が救われるとして、多様性を受け入れた宗教となった。この2宗教のみであったのなら、ここまで争いが続くことは無かったであろう。問題は、7世紀にムハンマドが起こしたイスラム教である。この宗教の成立過程で、ムハンマドは武力でもって 追われた故郷であるメッカを奪還し、その後も武力で周辺部族を従えアラビア半島全体にイスラム教を広めていった。聖戦ジハード)とは、何と罪深い言葉であろうか! この言葉で何人の人が殺されたか分からない。先日もガザ地区の病院で爆発があり、500人もの死者が出たと報道されたが、その後の Open Source Inteligenceの分析により、この爆発は「イスラム聖戦イスラムジハード)」というハマスとは別の武装組織が打ったロケット砲の誤爆により起きたとする説が濃厚となった。実際、最初「イスラエル空爆」と速報で報じたロイター通信も、その後「空爆」から「爆発」へと語句を訂正した。
 さて、イスラム教は現在、信者数においてキリスト教に次ぐ世界第2位の宗教であり、その大部分が平和に暮らしている。しかしながら、イスラムの貧困社会の中で、一旦武力闘争の芽が生じると、この芽は摘めども摘めども根絶できない。聖戦で死ねば天国へ行けると信じているから、死を恐れぬ暴徒集団になってしまう。私は、今回のイスラエルハマスとの紛争に対し、恒久的な解決策のイメージが描けず暗澹たる思いになってきた。

 最後に、話を神無月に戻す。井上陽水の曲で「神無月にかこまれて」がある。
  神無月に僕はかこまれて
  口笛吹く それはこだまする
  青い夜の空気の中に 生きてるものは
  涙も見せず笑いも忘れ
  息をひそめて冬を待つ

P.S.

 上は今朝の日の出である。日の出位置は、この一ヶ月で左端の小高い剣岳を越え、中央ちょい右の立山雄山も通り過ぎてきた。今は混沌としているパレスチナの地にも、いつかきっと明るい未来が来るだろう。そう信じるしかない。