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イスラエルとパレスチナの歴史の復習

 今日は、今戦闘状態にあるイスラエルパレスチナについて、世界史の復習を行った。

 上図は、ユダヤ人の2つの受難(左)と紀元前10~8世紀のこの地区の勢力図(右)を示している。
1.出エジプト
 パレスチナの地で遊牧生活をしていたヘブライ人は、エジプト王国にこの地を征服され、エジプトに連れ去られ奴隷的扱いを受けた。前1250年頃、指導者モーセに率いられて、ヘブライ人はエジプトを脱出して、パレスチナの地にヘブライ王国を建国した。
2.バビロンの捕囚
 ヘブライ王国は、ダヴィデ王・ソロモン王の時代に繁栄を極めるが、その後2国に分裂し、北のイスラエル王国アッシリアに、南のユダ王国新バビロニア王国に滅ぼされてしまい、ヘブライ人はバビロニアへ連行されて奴隷となった(バビロンの捕囚)。

 ヘブライ人は、新バビロニア王国滅亡後一時的にパレスチナの地に戻されたが、その後もこの地は、アケメネス朝ペルシア、ローマ帝国イスラム帝国、セルジュークトルコ、オスマントルコ、イギリス領(第一次世界大戦後の委任統治)と他民族による支配が続き、「ヘブライ人によるヘブライ人の国家」は、第2次世界大戦後にイスラエルが建国されるまで成立することは無かった。
3.ユダヤ教
 エジプトの奴隷に始まり「バビロンの捕囚」を経験したヘブライ人は、民族宗教である「ユダヤ教」を起こす。ユダヤ教の「選民思想」は「選ばれし民」の思想であり、「今は様々な苦難があるけど、戒律を守ってただ一つの神を信じていれば、世界の終わりに救世主が現れ、ユダヤの民だけが救われる」という教義である。
 イスラム教のアラブ諸国が取り囲む中で、ぽつんと一つだけユダヤ教イスラエルが存在する。両者は水と油の関係であり相容れない。同じイスラム教同士の国の中でも、シーア派(イラン)とスンニ派(下図参照)が相容れないのだから、とにかく、この地区の歴史的怨念と宗教が絡んだ争いは、根が深く我々日本人には理解し難い。