タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

パレスチナにおける領土境界の変遷

 ハマスのテロに端を発したイスラエルハマスの紛争は、イスラエルの地上侵攻を前にして激しい空爆が続いている。日本人には「即時停戦」を訴える人が多いが、停戦してもハマスの時間かせぎになるだけ、再攻撃の機会を与えるだけとなり、恒久的な平和が訪れないことは見えている。今日は、この地区の過去の争いと平和条約について調べた。

 上図は、過去イスラエルが占領した地区の現状を示している。元々このパレスチナという地域には、遊牧生活をなりわいとするパレスチナ人がいたが、国家は存在しなかった。この地は、第一次世界大戦まではオスマントルコが支配しており、大戦後はイギリスの委任統治領となったが、第二次世界大戦後にイスラエルが建国してイギリス軍が撤退すると、周辺のアラブ諸国第1次中東戦争を仕掛け、領土の奪い合いをするに至った。
 そもそも今年は、パレスチナに暫定自治政府を樹立することに合意したオスロ合意から30年となる節目の年であったが、その合意でパレスチナ暫定自治政府の領土と目される「ヨルダン川西岸」も「ガザ地区」も、第1次中東戦争時は周辺のアラブ諸国に占領され編入された土地であった。
 ヨルダン川西岸は、第1次中東戦争でヨルダンが占領しヨルダン領に編入されたが、第3次中東戦争イスラエルが占領し、1994年にヨルダンは領有権を放棄した。現在この地区は、パレスチナ自治政府イスラエル軍が行政権と警察権を分けて共同統治する複雑な地域になっている(A地区:パレスチナ政府が行政権、警察権共に実権を握る地区、B地区:パレスチナ政府が行政権、イスラエル軍が警察権の実権を握る地区、C地区:イスラエル軍が行政権、軍事権共に実権を握る地区)。
 ガザ地区は、第1次中東戦争でエジプトがシナイ半島と共に占領したあと、第3次中東戦争ではイスラエルが占領した。その後1979年のエジプト-イスラエル平和条約締結の際には、エジプトへはシナイ半島のみ返還され、この地は返還されずイスラエル占領地として残った。返還されなかった理由は、エジプトが、武装集団が多くいて紛争が絶えないこの地区の返還を拒んだからだと言われている。
 さて、上述したように、今回の紛争の中心であるこのガザ地区は、アラブの盟主と言われるエジプトからも疎まれている厄介な地域である。一番の問題点は、ユダヤ人の存在自身を認めない武装集団の存在である。共存共栄を否定する人達とは話し合っても無駄である。もし、ここで不用意に停戦してテロ集団がそのまま放置されたら、また、今回のような惨劇を繰り返すことになるのである。
 かと言って、ここまでのイスラエルによるガザへの攻撃は、自衛権の範囲を超えてしまったように思え許容できない。テロを実行したハマスはきちんと処罰されなければならないが、その過程で罪のないパレスチナ民間人が殺されてはいけないのである。恒久平和の前提となるのは、まず第一には、「相互の存在を認めること」になる。ただ、一般人の安全を確保しながら、これを否定するテロ集団だけを抹殺することはなかなか難しい。

エジプトーイスラエル平和条約
1979年にエジプトとイスラエルが締結した平和条約
<締結内容>
相互の国家承認
・1948年以来続く中東戦争の休戦
・1967年の第3次中東戦争で占領したシナイ半島からのイスラエル軍及び入植者の段階的撤退(1982年完了)
・返還後のシナイ半島におけるエジプト軍の兵力規模および活動地域の制限と国連平和維持軍の駐留

オスロ合意
1993年にイスラエルパレスチナ解放機構PLO)の間で同意された一連の協定
<合意内容>
イスラエルを国家として、PLOパレスチナ自治政府として相互に承認する
イスラエルが占領した地域から暫定的に撤退し、5年にわたって自治政府による自治を認める。その5年の間に今後の詳細を協議する。

第1次中東戦争
第二次世界大戦終結直後の1948年に、新たに独立を宣言したユダヤ教国家イスラエルに対し、周辺のアラブ諸国レバノン、シリア、ヨルダン、イラク、エジプト)が仕掛けた戦争。

第3次中東戦争
1967年4月にシリアとイスラエルの国境で両軍が衝突の恐れが高まると、ナセルはエジプト軍をシナイ半島に集結させ、5月22日にアカバ湾の入り口のティラン海峡を封鎖した。ティラン海峡封鎖が死活問題となるイスラエルは態度を硬化させ、6月5日、イスラエル軍はエジプトに一気に侵攻、空軍がエジプト空軍基地を爆撃しわずか3時間で破壊した。エジプト空軍の反撃を無力化した上で、イスラエル陸軍はシナイ半島ガザ地区を制圧し、スエズ運河地帯まで進撃した。北方ではシリア領ゴラン高原と、ヨルダン領ヨルダン川西岸地域と東イェルサレムを占領し、全イェルサレムを実効支配した。