タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

縄文人と渡来人の混血による日本人の形成

 今日でロシアがウクライナへ侵攻して丁度1年となった。言語的にも文化的にも、そしてゲノムの上でも非常に似通った民族同士が争いを続けている。一方で日本人は、ゲノム解析の結果、縄文人と渡来弥生人の混血により形成された民族と考えられており、両者のゲノムの違いは、ロシア人とウクライナ人どころか、ロシアを含む全欧米人と中国人との違い以上に開いている。今日は、縄文人と渡来弥生人の混血がどのように行われ日本人が形成されたかを考えてみた。

 上図は東アジア各国男性のY染色体タイプ別の人口比率を示す。縄文系を表すC系D系タイプの割合が日本では4割程度を占め、中国や朝鮮民族と際立った違いを示している。日本人は縄文人と渡来弥生人が長い時間をかけて混血を繰り返したため、各個人のゲノムの中も、縄文系ゲノムと渡来弥生系ゲノムが混じり合った形となっており、国立科学博物館の神沢秀明研究員によれば、本土日本人に伝えられた縄文人ゲノムの割合は13%となっているようだ。ここで一つ疑問が生じる。Y染色体をベースにした人口比率では4割が縄文系であったのだが、一人ひとりのゲノムの中の縄文ゲノム由来比率が13%に落ちてしまうのはどうしてだろうか?

 上図は水田稲作の伝搬時期とルートを示す。注意すべきポイントは、稲作は華南から 朝鮮半島南部を経て、前10世紀後半北九州に伝搬した という点である。
 華南発祥であることで、大陸からの渡来人も華南出身者が多かったと推測される。
 朝鮮半島南部には、当時既に日本列島の縄文人が進出していた形跡があり、半島と列島間で交易が行われていたと考えられている。以下の図は、現代人および遺跡から出土した人骨DNAの主成分分析結果を示すが、朝鮮半島南部から出土した人骨2個体のDNA(赤丸)が、現代韓国人と縄文人の中間に位置している。これは縄文人がこの頃既に朝鮮半島南部まで進出しており、大陸人との間に混血があったことを示唆している。

 あくまでも推測だが、この半島南部の地では大陸の言葉も縄文語も話せるバイリンガルが大勢いて、華南出身の渡来人はこの地で縄文語に慣れ、温暖で豊穣な日本列島の情報を入手し、日本へ渡ろうと決心したのではなかろうか。
 水田稲作が日本へ伝搬した前10世紀後半とはどういう時代であったか?

 上図は、縄文時代から現在に至るまでの海水面高さの変化を示している。今から6000年ほど前の縄文前期には温暖化による気温上昇がピークに達し、海水面が今より4,5m高く海外線が陸側に深く入り込んでいた(縄文海進)。ところが縄文中期末頃から気温がゆっくり低下し始め、稲作が北九州に伝搬した3000年前(前10世紀後半)頃になると、海岸線も現在とほぼ同じくらいのところまで後退(海退)していた。

 上図は前10世紀頃の北九州での縄文人と渡来弥生人の住み分けの様子を示している。この図で示す園耕民とは、当時の縄文人を指す用語であり、この頃の縄文人は狩猟、採集、漁労に加えてアワ、キビ、豆など米以外の穀物を栽培し生活していた。生活拠点は縄文海進の際の海岸線付近のままであり、この時点の海外線からはかなり山間の地であった。一方で、図では水田稲作民と表されている渡来弥生人は、海退で湿地となったところに水田を作り、生活拠点としていた。
 このようにして、日本列島に渡来した弥生人とそれまで列島に住んでいた縄文人は、互いの居住区を分ける形で住み分けを行った結果、両者間に大きな争いも起こらず、渡来弥生人は日本列島各地へ平和裏に攪拌して行った。
 ただ居住区は別であったが、両者には物々交換を介しての交流があり、混血も僅かではあるが、縄文人男性と渡来弥生人女性との間で行われたと考えられる。

 上図は縄文時代から弥生時代にかけての日本の人口推移を表す。弥生時代に人口が急増している理由は、渡来人がかなり大量に日本に押し寄せたことと、米という長期保管可能な食料を手に入れたことで、生活が安定し人口増加率が上がったためである。
 さてここで、冒頭に提示した「なぜY染色体タイプによる縄文人比率が4割なのに、ゲノム全体に占める縄文人ゲノムの割合が13%しかないのか?」について考えてみる。
 混血が常に、縄文人男性と渡来弥生人女性との間だけで行われたと考えると、混血第1世代(遺伝学ではヘテロと呼ぶ)の男性におけるY染色体縄文人比率は100%となり、ゲノム全体に占める縄文ゲノム割合は半分の50%になる。次に、混血第1世代の男性と渡来弥生人女性との間の混血を考えれば、このグループの男性におけるY染色体縄文人比率は100%であるが、ゲノム全体に占める縄文ゲノム割合は25%まで低下する。このようにして、混血が進めば進むほど全ゲノムに対する縄文人ゲノム割合は低下することになる。すなわち、以下を前提とすれば、Y染色体タイプによる縄文人比率が高率でありながら、ゲノム全体に占める縄文人ゲノムの割合が低率になることが有り得ることになる。
<前提条件>
 -1. 混血(縄文人男性*渡来弥生人女性)>混血(縄文人女性*渡来弥生人男性)
 -2. 混血2世代以降に関しても 純粋縄文人女性との混血は低率

 さて、あと一つ、混血がどのように進んだかを想像できる文献がある。

 上は魏志倭人伝からの抜粋で、弥生時代の倭の国は一夫多妻制であったと記されている。しかも、一般人までもが妻を複数人持っていたと書いてある。考えられる要因としては、渡来弥生人の社会では戦乱が多く、成年女性に対する成年男性の数が圧倒的に足りなかったということである。一方で縄文人社会では1万年間も戦争が無かった。このような状態の中では、好奇心旺盛な縄文人の若い男性が渡来弥生人の社会へ入り込み、妻を娶って子孫を増やすことも十分考えられし、むしろそういう形で混血がスムーズに進んで行ったのではないかと思った次第である。