タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

天皇誕生日に考えたこと

 今日は天皇陛下が縄文系か弥生系かを考えてみた。

 上図は男性の性染色体であるY染色体の遺伝子タイプ(Y染色体パプログループ)を示す。赤枠で囲ってあるC系・D系の遺伝子タイプは縄文人のグループを示し、緑枠で囲ってあるO1系・O2系の遺伝子タイプは、中国人や朝鮮人に多いタイプで、縄文時代晩期以降で大陸からやって来た渡来弥生人もこの種の遺伝子タイプだったと考えられている。このようにして、21世紀に入りゲノム解析ができるようになってから、日本人の起源を辿る研究も各段に進歩した。定かではないが、天皇家はD系(縄文系:D1a2a)だとの噂である。Y染色体ゲノム解析からは男系の祖先が辿れるので、もし、現天皇陛下Y染色体が本当にD系であるなら、一昔前にあった「騎馬民族征服王朝説」も科学的に否定することができる。すなわち、縄文時代から日本列島に住んでいた天皇家の祖先が、弥生時代に入ってから、大陸から入ってきた稲作文化を取り入れ、渡来人と混血しながら勢力を拡大し大和朝廷を建国したことになる。
 さて、もし天皇家の祖先が元々日本列島に住んでいた縄文人であったとすれば、その建国はどのように行われたのであろうか?

 上図は日本書紀に記された神武東征ルートである。初代神武天皇は、今の宮崎県から船で東征に出て、瀬戸内海から大阪の地を経て奈良の橿原まで軍を進めたことになる。ここで非常に興味深い点は、大阪に神武東征を創祀とする神社があることだ。
 
 上図は弥生時代の大阪を示しているが、当時の大阪は、大阪城の東側に河内湖が広がり生駒山地の麓まで水辺が広がっていたことが分かる。上町台地が大阪湾と河内湖を隔てる砂州として伸びており、ここに生国魂神社がある。

 上図は生国魂神社とその神社のパンフレットを示すが、その創祀に神武東征赤線)が創始と伝わると書いてある。驚くべきことに、御由緒には、当時この地が三方を海で囲まれていた(黄線)と書いてあり、現在から想像もできない二千年以上前のこの地の地形を正確に描写している。日本書紀の記述と神社の言い伝えと科学的な地質測量結果が合致したことになる。神武東征は本当にあったのかも知れない。そしてもしあったとすれば、それは紀元前の出来事となり、縄文人を祖先とする神武天皇が東征後、初代天皇として大和の地に大和朝廷を開いたことになる。