タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

海外出張トラブル(その1)

 2010年6月6日(日)、私は成田からシカゴへ向かう便の中で、作成した資料の最終チェックをしていた。私が勤めていた会社の米国現地法人でシステム導入プロジェクトが立ち上がり、現地法人の要請に応じて、私は日本側代表として、導入するシステムの説明を行い、プロジェクトの方向性を定める任にあった。そのプロジェクトは、現地法人のCADシステムと部品表システムを同時に変更し日本側に合わせるという、大変難易度の高いプロジェクトだった。システムを分かっている人なら想像できると思うが、基幹システムを変更するのは大変なことである。ましてや、2つの基幹システムを同時に変更するなんて、普通ならまずやらない。私は旅立つ前から気が重かった。
 太平洋を越え、日付変更線を越え、夜が明けてシカゴの空港に着いたら、同じ6月6日の昼前だった。機を降りて国際線から国内線へ乗り継ぎしようとしたところで、空港内が大混雑で、手荷物のセキュリティ・チェックの列が延々と続いていた。2時間掛けてそのチェックを通った頃には、私が乗る予定だったPeoria行の便は既に出発した後だった。しょうがないので、便の変更をしようと思いカウンタまで行ったら、そこも人で溢れていた。そしてそこで、この混雑がトルネード発生のため起きていることを知った。便の変更はできたが、そこから先は初めて経験する苦難の連続だった。
 変更便のゲートで2時間ほど待っている間にゲート変更のアナウンスが2度あり、その度に変更先のゲートへ移動した。私は英語の聞き取り能力がそんなに高くないので、回りの待ち客の様子を見ながら、案内ボードと照合して行動した。その内その便のキャンセルが決まり、再度予定変更して待ち、そういうのを2回やったら、とうとうPeoria行の最終便となり、もう夜の9時を過ぎていた。私はその最終便への搭乗を藁をもつかむ気持ちで待っていた。回りに日本人が誰一人いない遠い異国の地で、どうしようもなく不安な気持ちになった。そして無情にも、その最終便もキャンセルとなるアナウンスが流れ、回りの客たちは一斉にカウンタに並び列を作った。その列の最後尾に並び、前の様子を伺っていると、今日の宿と明日の便の予約をしていることが分かった。そんなわけで、私は生まれて初めて、航空会社が用意してくれたホテルで一泊し翌日朝一番でPeoriaへ飛ぶことになった。因みにホテル代は航空会社が負担してくれた。
 海外出張のトラブルの中で、これが最大のトラブルになった。これ以外では、ロストバゲージは3回経験したが、多少困るだけで心細くなったりはしなかった。ただトラブルは悪いことばかりではない。そんな『この先どうなるのか分からない』というトラブルを経験し切り抜けると、人間強くなる。『この先は分からないが死ぬことはない』と思えるようになるからだ。