タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

1995年3月20日朝

 1995年、この年の3月20日は月曜日で次の21日は春分の日でお休みだった。年度末になると会社から、有給休暇取得率向上のため、とにかく「休め、休め」と言われる。飛び石連休で、休めば4連休となるこの月曜日は、正に天から「休め!」と言われているような日だった。
 そんな月曜日の朝、地下鉄サリン事件は起こった。当時私は、東京駅でJRから地下鉄丸ノ内線に乗り換え、霞が関駅を過ぎて一つ向こうの国会議事堂前駅で降りて会社まで通勤していた。霞が関駅を通過するのが8時過ぎ、その日もだいたい同じ時刻に霞が関駅を通過していた。オフィースで執務していて異変に気付いたのが10時前、「地下鉄が止まっている」とか「地下鉄駅で急病人が出ている」とかの情報が入ってきた。妻からも会社に電話があり、その電話に応えた時はまさかこんな事件が起きているとは思ってもみなかった。
 あとで事件の真相を知りぞっとした。当日私が乗った電車は、犯人が犯行を決行した電車そのものか、一つ手前か、あるいは一つ後の電車であった。犯行決行車そのものである可能性が一番高いのであるが、事件の記録には「犯人は池袋駅で最初に2号車に乗り、茗荷谷駅から後楽園駅の間に3号車に移り、御茶ノ水駅でサリンを散布した」と書かれている。私はいつも1号車か2号車に乗っていたので、車両違いで命拾いをした可能性が十分あると思っている。サリンにかすっていたのである。
 これと同じように、後から考えて「一歩間違えたら危なかった」という事件がもう一つある。2011年7月、私は中国山東省にある海外現地法人に出張した。出張から帰ってきて自宅でTVを見ていたら、中国で新幹線が衝突・脱線事故を起こしたというニュースが飛び込んできた。私はその新幹線に一昨日乗ったばかりであった。また、私が乗ったのは北方から上海への路線、事故が起きたのは上海から南方への路線と多少の差はあるが、どこで何が起こるか分からない中国だったので、危機一髪とまでは行かないが、肝を冷やすに十分の事故であった。