タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

東日本大震災から10年

 10年前の3月11日は金曜日であった。当時私は東京に居て、毎週金曜日には大阪の工場へ出張することをルーチンワークとしていた。その日も大阪のオフィースで会議をしていたところ、隣室で東京とTV会議をしていた連中が騒ぎ始めた。東京が揺れていると聞こえてきた。それからしばらくして、大阪もゆっくりと揺れ始めた。
 その日は新幹線が止まったので、大阪のホテルに泊まった。妻に電話したら、ガラス食器が結構壊れたが別にけがもなく元気だ ということで安心した。
 次の日、新幹線で東京駅に着いたら、そこは帰宅難民で溢れていた。JR総武線も動いてなかったので、地下鉄を乗り継いで錦糸町駅まで行き、そこから1時間ほど歩いてやっと自宅まで辿り着いた。
 つくば市にいた次男も無事だった。沼津市にいた長男夫婦も無事だった。ただその後、福島原発が爆発したニュースが世界を駆け巡り、長男嫁の実家から、「日本に居て大丈夫か?」と心配するメールが舞い込んだ。私は、「沼津は、米国防総省が示す安全基準(原発から50マイル以上)離れているから大丈夫だ」とメールで返した。
 あれから10年である。長男嫁はその翌年に第2子を出産し、その子の首がまだ座らない内に米国の実家に帰って行った。長男はその後を追って米国に渡り、今では5人の子だくさん夫婦となった。
 今日はこの「大震災から10年」の話で持ち切りだが、1000年に一度の大震災の教訓は1000年後にも語り継がれているであろうか?f:id:TatsuyaYokohori:20210311110923p:plain
 上の写真は近くの工事現場で、元田んぼだったところを1mほど掘って現れた地層を撮ったものである。この辺りは、1858年の飛越地震常願寺川上流に堰止湖ができ、その湖が決壊した時 土石流が押し寄せ大水害を被ったところである。田んぼの土を深く掘ると、その大災害の跡が顔を出す。しかしながら、それから163年経った今、そんなことがあったことを知る人はほとんどいない。
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 何はともあれ、今日もみんな元気に生きている。春はあけぼの。やうやう白くなりゆく剣岳の山際が少し明かりて、とても良い。