タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

久々の東京

 昨日今日とで妻と東京へ行って来た。目的は孫の子守である。昨年夏に男児を産んだ長女が、会社の同期の結婚式に出席するというのだが、旦那の方もその結婚式に呼ばれている。呼ぶ方も呼ばれる方も社内恋愛での結婚だからそんな風になるそうで、孫の子守に来て欲しいと頼み込まれたわけである。
 そんなわけで朝一の新幹線で駆けつけ、長女のマンションへ辿り着いたのが9時半、3ヶ月振りに大きくなった孫と対面した。
 東京はまだまん延防止等重点措置期間中なのだが、驚いたことにその結婚式の参加者は100人を超えていたとのこと。政府も国民も、いよいよ経済を回す方へ舵を切り始めたように思えた。一夜明けた今日は良いお天気で、朝9時の浅草寺仲見世通りはまだ店が開店していないのに結構な人出であり、10時過ぎには観光客で完全にごった返していた。
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 午後は神田神保町の本屋街に行き、高校の世界史の教科書を買った。富山へ帰る新幹線の中で、その本のロシアに関する歴史を読んでいたら、以下のように書いてあった。
キエフ公国ののち、ロシアはモンゴル帝国の一部になっていたが、モスクワ大公国が成立するとロシアは再び独立を成し遂げ、シベリアへの領土を拡大し大国への道を歩むようになった。
 17世紀初頭から20世紀にかけてロシアを統治したロマノフ朝は、ロシア正教会の影響が強く、他の国が経験したような、宗教戦争により国が二分されるような事態になることはなかった。
---中略---
 ピョートル1世と並んでロシア皇帝を代表する女帝となったエカチェリーナ2世は、ドイツの貴族の娘として生まれた純粋なドイツ人であった。彼女はロシア皇帝に嫁いだ王妃だったが、気弱で能力不足の夫に満足せず、クーデターを起こして自ら帝位についた女傑だった。
---中略---
 エカチェリーナ2世は、皇帝として優れたリーダーシップを発揮し、軍事面ではウクライナクリミア半島を手に入れ、ロシアが熱望する暖かい南方へ進出した。
 外交では、プロイセンオーストリアを誘ってポーランドに領土を強要し、ポーランドを3国で分割してぶんどってしまった。』

 歴史は繰り返すと思ったが、全く同じ形では繰り返さないだろうとも思った。