タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

戦国時代の政治と宗教

 本日、妻と勝興寺を見学した。勝興寺とは、先日国宝に指定された富山県高岡市伏木古国府にある浄土真宗本願寺派の寺院である。

 写真は本堂であるが、時雨模様のどんよりした空を背景に堂々と厳かに立っていた。写真右下の石の看板に「天から降って来た石」と書いてあるのを妻が見つけ、「昔の人はこんな迷信を信じていた」と言ったので、私が、「これは隕石だ」と言って、石を叩いてカンカンと金属音がするのを聞かせる一幕があった。

 上は、武田信玄とその子勝頼が連盟でこの寺の住職に宛てた書状であり、解説に依れば、上杉謙信越中進軍に対し、助けを求められた武田信玄が病がちとなり求めに応じることができなくなった旨が綴られているとのこと。信玄と勝頼両名の署名に花押が添えられており、突然戦国時代の動乱が頭の中を駆け巡った。戦国時代の動乱には、守護大名ばかりでなく宗教集団も加わっていたのだ。
 そう言えば、中学校の歴史の授業で「一向一揆」という言葉を習ったが、それが「浄土真宗本願寺教団によって組織された、僧侶、武士、農民、商工業者などによる一揆」だとは今まで知らなかった。我が家も浄土真宗であるから、私の戦国時代の祖先も、底辺で一向一揆に加担していたのかも知れない。
 最近、政治と宗教の問題がくすぶり続けている。ことし9月、富山市議会が「世界平和統一家庭連合」旧統一教会や関係団体と一切の関係を絶つ決議を可決したことについて、旧統一教会の信者が「信仰を理由にした不当な差別的扱いを受け、精神的苦痛を受けた」と主張して、富山市に対し、決議の取り消しと慰謝料などを求める訴えを裁判所に起こした。浄土真宗本願寺教団も旧統一教会も宗教団体である。政治と宗教は昔から絡み合っていたということで、快刀乱麻のようなすっきりした解決策は無さそうだと思った次第である。