タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

日本人三重構造モデル

 金沢大や富山県埋蔵文化財センタなどで作る研究チームが、9月17日付け米科学誌電子版に「日本人の三重構造モデル」を発表した。出土した人骨から採取したゲノムを解析した結果、従来からの二重構造モデルに変わる新しい知見が得られたとのこと。f:id:TatsuyaYokohori:20210918151048p:plain
 上図は、ゲノム解析に使用した人骨が出土した遺跡を示す。この研究の中で、富山市小竹貝塚から出土した4体のゲノムデータが重要な資料となった。富山市にそんな遺跡があることを初めて知ったが、この遺跡は2009~10年の北陸新幹線工事に伴う発掘調査により、国内最多となる91体の人骨が見つかった貝塚であり、縄文前期(7000~5500年前)としては国内最大級と確認された遺跡である。f:id:TatsuyaYokohori:20210918151554p:plain
 上図はゲノムデータを主成分分析した結果であり、第1、第2主成分を軸に各個体のゲノムデータがプロットされている。この図の中、縄文人骨12個体のデータが赤三角で、弥生人骨が橙三角で、古墳人骨が青三角でプロットしてある。図には、アジア古人骨集団のデータもプロットされており、日本人の祖先が、縄文人弥生人・古墳人と時代を追うごとに,大陸における古人骨集団との遺伝的近縁性が強くなっていく傾向が見てとれる。f:id:TatsuyaYokohori:20210918153203p:plain
 上図は、各時代毎の日本人のゲノムがどの祖先由来のものであるかを表している。縄文人は別の研究により、およそ 20,000~15,000 年前に祖先集団が大陸の基層集団から分かれ,その後,少なくとも縄文早期までは極めて小さな集団を維持してきたことが示されている。また、今回の研究により、弥生人縄文人の中に北東アジアを祖先集団とする人々の流入と混血により形成され、古墳人は更にその上に東アジアを祖先集団とする人々の流入と混血により形成されたことが分かった。
 今までの学説では、日本人は縄文人弥生人の二重構造で捉えられていたが、今回の研究で、大陸から来た祖先集団は2集団あり、それぞれ弥生時代古墳時代流入して、現在我々日本人のゲノムは、「縄文祖先」と「北東アジア祖先」と「東アジア祖先」の三重構造になっていることが示された。
 私のゲノムも、縄文のご先祖様や北東アジア、東アジアのご先祖様から頂いた贈り物の詰め合わせセットになっているのだろう。そして、そのまたご先祖様は氷河期にバイカル湖のほとりでマンモスを追っていたかも知れない。沢山いるご先祖様に対し「今私はこうして生きています」と伝えたい。