タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

国産ワクチン開発の行方

 今年の生命科学ブレイクスルー賞が、mRNAワクチン開発に大きく貢献したドイツビオンテック社のカタリン・カリコー博士に授与された。ブレイクスルー賞は科学界では最高額(1件あたり300万ドル)の学術賞として2012年に創設され,現在,基礎物理学,生命科学,および数学の三部門が設けられている.2013年から始められた生命科学ブレイクスルー賞はこれまで,日本から山中伸弥氏 (2013年),大隈正典氏 (2017年),および森 和俊氏 (2018年)が受賞してきた。
 カリコー女史は1955年生まれで私と同い年。彼女がいなかったらmRNAワクチンが生まれていなかったと思われるので、彼女は人類の多くの命を救ったことになる。ただここまでの彼女の人生は苦難続きであったようだ。
 彼女はハンガリーで生まれ、大学卒業後はハンガリー科学アカデミーの奨学金を得て、地元の研究機関の研究員となって RNA(リボ核酸)の研究で博士号を取った。そこまでは良かったが、やがて政府からの研究資金打ち切りが決まり、1985年、彼女は夫と幼い2歳の娘とともに渡米する。1985年と言えば、私の長男が1歳の頃で、世の中はまだ冷戦時代だった。共産圏のハンガリーから米国への移住は大変だったであろう(通貨持ち出しが厳しくチェックされた)。
 米国では、HIVのワクチン開発の研究をしていたドリュー・ワイスマン教授と知り合い、彼と共同で2005年、今回のワクチン開発に道をひらく画期的な研究成果を発表した。ところが、これが注目されないまま、2010年には、mRNAの関連特許を大学が企業に売却してしまい、彼女の研究も頓挫してしまった。ところが、この彼女の研究成果に注目したドイツのバイオ企業ビオンテック社が彼女をドイツに招き、研究継続が可能になった。因みにビオンテック社創業者のウール・シャヒン博士と妻のエズレム・テュレジ博士は、ともにトルコ系ドイツ人。2人とも医師で最先端医療の研究者だったので、彼女の研究の価値を見抜けたことになる。そして最後に米国のファイザ社が登場し、ビオンテック社と共同で今回のmRNAワクチンを開発したことになる。
 製薬の世界では、日本は大きく遅れをとっている。私は欧米が進んでいると思っていたが、上述の登場人物の出身地がハンガリーとトルコであることを知り、もう「日の丸ワクチン」と言っている時代ではないことを痛感した。純血主義ではもう世界と戦えない。世界には優秀な人がいっぱいいる。まずはベンチャー企業がそんな人達の成果を正しく判断して研究と実用化を進め、ある程度目途が付いた時に製薬大企業がそのベンチャを認識して、そして大企業とベンチャが共同で強力に製薬の最終段階を進める。その段階では、大企業が持つ「治験の進め方」、「薬の製造販売承認申請&取得要領」、「大量生産要領」が非常に効果を発揮し、大手製薬会社&ベンチャ企業の共同体がグローバル生産と販売に打って出る。
 こんな風に考えていたら、これは日本が不得意なやり方だと思った。国産ワクチンは大丈夫だろうか? 別に日本人が開発したワクチンで無くても良いのである。日本の総合力が生かせて、開発できたワクチンであればそれで良いのである。