タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

般若心経の神髄

 妻の実家は曹洞宗である。義父や義母が亡くなった折には、毎月の月命日にお坊さんが来てお経を唱え、その際教本が配られ、門徒でもない私も般若心経を読経させられた。
 観自在菩薩      かんじざいぼさつ 
 行深般若波羅蜜多時  ぎょうじんはんにゃはらみったじ 
 照見五蘊皆空     しょうけんごうんかいくう
上はこのお経の初めの部分だが、意味も分からず ふりがなの方を必死に読む形で、毎月のお努めを果たした。
 このお経の神髄は何だろう? 私には、
 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 
が、このお経の結論であり神髄のように思える。
すなわち、
 「色」は「空」と異なるものではなく、「空」は「色」と異なるものでもない
 「色」はすなわち「空」であり、「空」はすなわち「色」である
と結論付けているように思える。そうなって来ると、問題は「色」とは何かである。この「色」の意味について、以下がヒントとなる。
 無眼耳鼻舌身意
 無声香味触法
「眼」に対する「色」、「耳」に対する「声」、「鼻」に対する「香」と、感覚器官とそれが知覚する感覚が対比的に書いてあり、「色」とは狭義には「見えている感覚」という意味になると思われる。また、広義には、眼に見える視覚を五感の代表として、「知覚できる全ての感覚」を意味すると思われる。そしてこのお経は、五感も無ければ、五感の対象となる実体(見えているものとか音を発するもの)も無い、これらの「色」は「空」であると言っているように思える。
 この宇宙は「無」から生まれたと考えられている。今から138億年前、真空に潜在するエネルギーが析出してこの宇宙の種ができ、インフレーションにてあっと言う間に拡大し、ビッグバンにて巨大な宇宙へと成長した。宇宙をこのように理解できているなら、色即是空 空即是色 は、この世の真理を端的に言い表していると理解できる。そして、真理の理解は悟りにつながるのである。