富山県に聖火が来た

 昨日、聖火リレーが石川県から富山県に入った。新型コロナウイルス感染が沈静化していないため公道リレーは中止となり、昨日初日は高岡会場で県西部の代表者が「トーチキス」にて聖火を繋いだ。県出身の有名人として立川志の輔もこのトーチリレーに加わった。今日は富山会場にて県東部の代表者が聖火リレーを行う。
 聖火が来ると一挙にオリンピック開催ムードになるが、一昨日黒部市が、アーチェリー・インド代表の事前キャンプ受け入れ断念を表明したばかりであったため、まだまだ微妙な雰囲気が漂っている。f:id:TatsuyaYokohori:20210603103649p:plain
 上図は日本人を2軸で分類した図である。横軸の右方は「自分で考えた目的に従って行動する傾向」を示し、左方は「他人の主張に依存する傾向」を示している。縦軸の上方は「不要不急を必須のものと考える傾向」を示し、下方は「不要不急は必要悪と考える傾向」を示している。現時点で世の中の雰囲気は「五輪中止」が6割と多数派を占めているが、上図で示したように、日本人は他者の意見というムードに流され易い国民なので、ムードが変われば一挙に手のひら返しになる。また、オリンピックを紀元前発祥の不要不急総本家の一つと捉えれば、感染が落ち着いて来れば「あっても良い」と思う人達が手のひら返しで「開催容認」に変わる。
 新型コロナ感染症対策分科会の尾身会長が、このパンデミック下でのオリンピック開催は「普通はない」と言ったそうだが、普通はしないことを敢えてやるから新しい歴史を始められる。同氏が「何のために開催するのかの説明」についても言及しているが、私にとってこの説明は「不要不急の目的」を説明することと同義になる。政府や東京都は、不要不急の自粛を要請しながら、オリンピックという不要不急の一大イベントを行おうとしている。だからオリンピックの開催目的を説明しようとすると、どうしても矛盾が露呈してしまう。この矛盾を解決するには、まず不要不急を肯定しなければならない。人間は不要不急を楽しむために生まれてきたのである。ここまで達観すれば、何のためオリンピックを開催するかの答えが見えてくる。日本を、そして世界を元気にするためオリンピックを開催するのである。そしてこれを普通はしないこの時期にやるから、世界に勇気と希望を与え、新しいオリンピックのやり方を発信することになるのである。