東京オリンピック閉幕

 本日、オリンピックが閉幕した。コロナ禍の中でのオリンピックで、中止を訴える人も多数いたが、私としては『やって良かった』という思いでいる。
 まず、スポーツとは関係無いところでの感想だが、ヨーロッパの国々が移民の国になっていると改めて感じた。参加者には、アフリカから移民としてヨーロッパに入り国籍を獲得した人が沢山いたからである。また、メダルの数は国力を示し、GDPが多い国はメダル数も多くなると感じた。以下は縦軸をGDP、横軸を金メダル数として、上位国をプロットした散布図である。f:id:TatsuyaYokohori:20210808223445p:plain
 このグラフを見ると、米国と中国の間で、軍事も経済もスポーツも覇権が争われていると想像される。また、日本と中国の間で随分差が広がってしまったし、ロシアはGDPにおいては韓国よりも下であり、武力とスポーツとで何とか見せかけの国威を保っているように思える。
 オリンピックは、クーベルタン男爵の思いから逸れてしまい、今や国の威信を掛けて争うスポーツイベントになっている。そもそも表彰式で国旗を掲揚し、国歌を演奏して優勝者をたたえるようになったのは、1908年ロンドン大会からで、それまでは、選手たちは国の代表としてではなく個人として参加していた。正に「オリンピックは参加することに意義がある」であった。それが今では、特に団体競技において、国毎にチームを作るため、国と国との間で争われる競技会となっている。
 今回のオリンピックでも、日本チームは皆、日の丸を背負って戦った。サッカーの久保建英が三位決定戦にも敗れ号泣しているのを見た時、この二十歳の青年にそれほどまでの責任を背負わせてしまったのであろうかと、こちらも胸が熱くなった。
 一方で個人競技で新種目であるスケートボード・ストリートやパークでは、そういう悲壮感は全くなく、メダリスト達からは、やっていて楽しいわくわく感が感じられた。新しい種目では、まだ国民からの期待も少なく、個人が挑戦すること自身を楽しめるような気がした。
 前畑秀子さんは水泳女子200mの選手で、日本人女性初の金メダリストだが、彼女がベルリン・オリンピックへ向かう船上で海を見つめながら、『もし金メダルを取れなかったら、帰りの船でこの海に飛び込んで死のう』と思ったそうである。1936年のベルリン大会は、ヒットラー国威発揚を狙って開いたオリンピックとなったが、参加した選手も皆、そんな悲壮な思いを抱いて参加していたのであろう。
 日本は戦争を経て1964年の戦後復興五輪を成功させ、今回のコロナ禍五輪となったわけだが、オリンピックをやって良かったか否かの評価は、各自で異なることになるであろう。少なくとも、オリンピックに参加できた各国のアスリート達は、東京五輪を開催してくれた 日本、東京都、大会運営者&ボランティアに感謝しているに違いない。また一方で、この期間に新型コロナ感染が更に広がり、それを東京五輪のせいにしたい人達は、このオリンピック決行を最大の悪行だったと評価するであろう。私は、各自評価が異なるから良いと思っている。多様性を認める社会は、自分とは異なる意見を持つ他人を認める社会であるのだから。