タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

今年2回目のわらび採り

 今日は妻と今年2回目のわらび採りに行った。朝5時に家を出て、現場である砺波のスキー場に着いたのが6時前。一番乗りだった。今日は前回とは違い、山頂の方でも、結構背丈の伸びた太目のワラビを収穫できた。帰宅後、重量を計ったら二人合わせて6kg、前回の3倍ほど採れた。


 ウクライナのニュースを見ていると、こんな平和な生活を送れることが、かけがえのないことなのだとつくづく思う。



ヨーロッパの歴史

 今日はヨーロッパの歴史のおさらいをした。

 上図は、世界史の教科書の、民族大移動後のヨーロッパを書き写したものである。その教科書によれば、民族大移動は3段階に分かれて行われた。第一弾がゲルマン系、第二弾がノルマン系、最後がスラヴ系の移動となる。
 また、今問題になっている「スラヴ系」に着目すると、スラヴ系は、東スラヴ人ウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人)、西スラヴ人スロバキア人、チェコ人、ポーランド人)・南スラヴ人クロアチア人、セルビア人、ブルガリア人など)に分けられる。

 上表は、スラヴ人の国々を、民族、宗教、言語で比較したものである。争いは価値観の違いから生じることが多いが、価値観の基礎となる宗教が異なれば、戦争に発展することも多くなる。ローマ帝国に近かった西スラヴの国々は基本カトリックになり、ビザンツ帝国に近かった東スラヴ系の国々はギリシャ正教になった。問題は南スラヴであり、カトリックギリシャ正教の民族が混在する地域となった。
 私が小学生の頃、ユーゴスラビアという国があった。この国で紛争が生じたのは1991年である。どうも、カトリック教徒のクロアチア人やスロベニア人と、ギリシア正教徒のセルビア人は元々そりが合わないようである。最初に、セルビア人主導で治めるユーゴスラビアから、クロアチアスロベニアが独立を宣言し、その後、クロアチア紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、コソボ紛争へと発展した。1999年のコソボ紛争交渉決裂の際には、NATO軍がユーゴスラビア空爆している。また、空爆を受けたセルビアは、当然としてNATOに加盟していない。
 このユーゴスラビアの中でのセルビアの立ち位置は、ソ連の中でのロシアの立ち位置に良く似ている。どちらも、連邦共和国の中で我こそが全体を主導する立場だと思っている点である。また、どちらもギリシャ正教会から派生した正教会の国である。ロシア正教会トップのキリル総主教が、モスクワでの説教で、「(ウクライナ東部の)ドンバス地域での紛争は世界の大国と名乗る関係国が差し出す価値観といわれるものに対する根本的な拒否に根差している」と主張。暗に西側のやり方を批判することでプーチンを支持している。宗教側トップがこんな風にプーチンを支持すると、ロシアの一般国民は、「プーチンがやっていることは神にも認められた」と思うだろう。
 今日のおさらいでは、戦争の裏側には、宗教に根差す価値観の違いがあるように思えた。

P.S.
 上図は、一般財団法人日本総合研究所会長・多摩大学学長の寺島実郎氏が、教養番組『寺島実郎の世界を知る力』で使った説明図である。
 プーチンから見れば、1991年までソ連邦だった国の中で、最初にカトリックプロテスタントの国々が次々とNATOに加わり、そしていよいよ正教徒の国であるウクライナまでもがNATO加盟を希望するような裏切り行為を働いているように見えるのであろう。宗教に疎く、聖職者が戦争に加担することを理解できないでいる私であるが、宗教こそが戦争の引き金になっているかも知れないと感じた次第である。
 





立夏 こどもの日

 今日のこどもの日に合わせて、近所のSLマニアの御仁が、ミニSL試乗会をしていた。自宅の庭には線路が引かれており、子供連れの若夫婦が試乗の順番待ちをしていた。

 今日は朝から気温がぐんぐん上がり、立夏にふさわしい夏日となった。この暑い中、つるが伸び始めたエンドウ、インゲン、キュウリ用に、つるを這わすネットを張った。

 庭には、オダマキミヤコワスレ、アヤメが咲き始めた。みな紫の花であるが、何か理由があるのだろうか?







今年3回目の筍掘り

 今日は妻と二人で義母の実家の裏山で筍掘りをした。不届きものの先発隊が掘り起こした形跡があちこちに見られたが、新たに伸びたタケノコも多数見つかり、私の歴史始まって以来の収穫量となった。

 義母の実家は、富山市から立山へ向かう途中にあるのだが、連休中日の今日は、実家の前の県道を、立山へ向かう車がひっきりなしに通り過ぎた。この5月の立山は「雪の大谷」が有名であるが、先日 立山黒部アルペンルートの玄関口で落石があり、有料道路が通行止めになったため、立山への道はケーブルカーを使うルート1本に絞られてしまった。ニュースによれば、昨日のケーブルカーは最大3時間待ちだったとのこと。今年は雪が多かったため、雪の大谷の壁の高さは初日で18mもあったそうである。素晴らしい絶景が、待ち時間の長さで、観光客の満足感が半減してしまったのではないかと気がかりである。
 雪の大谷は、標高2450mの室堂までの道の直ぐ手前にある。室堂までバスで行けるが、この地までの除雪の苦労を考えれば、雪の大谷の絶景はまた格別のものとなる。
 
 県道と平行に富山地方鉄道が走っている。今日は、西武鉄道を引退したレッドアロー号を見ることができた。京阪電鉄の特急列車も走るので、鉄道ファンにとってはたまらない路線である。



平凡に過ぎるゴールデンウイークの日々

 昨日は良いお天気で、午前中は妻とパークゴルフに行き、帰宅後は家庭菜園で、ナスとミニトマトとシシトウの苗を植えた。
 今日は朝から雨で、町内同好会のパークゴルフが中止となり、代わりに延び延びとなっていたファンヒータの片付けをした。その後、5年越の仕事となっていた、義母のタンスの解体作業を行った。義母が亡くなったのは6年半前、義父が亡くなったのは4年半前。義父母から受け継いだこの家には、二人の遺品が沢山ある。今日解体したタンスもその一つであり、半日掛けて上半分が終わったところで疲れてしまった。
 それにしても昔のタンスは解体するのが厄介だ。とにかく部材が多く、接着した上に釘で打ち付けてあり、燃やすごみとして出せるまで解体するのが大変だった。だいたい、各引き出しに全部鍵を付ける必要もないだろう と思うのだが、この錠前の金具を外すだけでも一苦労だった。まだ下半分が残っているし、義父のタンスも控えている。
 このようにして、ゴールデンウイークの前半は平凡に過ぎていった。

P.S.
 今日5月1日は、国重要有形・無形民俗文化財の「高岡御車山祭」であったが、雨で中止となった。過去2年間はコロナで中止だっただけに、関係者にとっては恨めしい雨となった。

蕨採り

 今日は妻と今年初めて蕨採りに行った。場所は例年行っている 夢の平スキー場 で、丘の麓の辺りでは、スイセン畑が満開であった。

 丘を登って行くと、蕨は生えていたが、まだ少々時期が早かったみたいで、今日は夫婦二人で収穫量は2kg程度と低調であった。
 帰宅して直ぐあく抜きをしたが、大鍋の熱湯に蕨を入れながら、『縄文人も蕨をあく抜きして食べたのだろうか?』と思った。縄文人は世界的に見ても、最も早い時期に土器を使って煮炊きした人種である。縄文時代は戦争がなく1万年もの間平和に流れた。栗の栽培や貝塚から想像される縄文時代の生活は、人間同士の争いを感じさせない穏やかなものである。最近、ウクライナの悲惨な状況を見るにつけ、人間を戦争に駆り立てるものは何であろうかと思う毎日である。
 今日は午前中から雨が降り出し、あく抜きの大鍋は屋内に移動させ、その後私は障子の破れた箇所の張り替え、妻は延び延びになっていたお雛様の片付けを行った。このようにして、高齢者夫婦の「昭和の日」は穏やかに過ぎていった。



筍掘り

 今日は義母の実家の裏山で筍掘りをした。

 上に示すように、非常に小ぶりのものが5本取れた。実家と言っても、もう家もなく誰も住んでいないので、元実家があった場所と言うのが正しい。裏山も荒れ放題で無管理状態、どこの誰だか分からないが、筍を既に掘り起こした穴や剥いた外皮があちこちに見られた。
 今日は明らかにシーズン遅れになるのだが、この地は最盛期に行くと、いつも先発隊が取り尽くしてしまった状態になっているので、今年は時期をずらして行ったわけだが、結果的には良い判断だった。
 帰宅したら、裏の田んぼにトラクターが入り代かきをしていた。農作業に忙しい時期になってきた。