夫婦別姓

 今日の地方紙朝刊の一面に「夫婦別姓 再び認めず」とあった。2015年に引き続き、最高裁は今回も現行法が合憲だと判断した。この記事を見て、法学の知識に乏しい私は、「何で同じ事案を何回も裁判にかけるのだろうか?」と思った。一事不再理 という言葉がある。ネットで調べると、「刑事訴訟法上,ある事件について有罪無罪の判決または免訴の判決があって確定した場合に,同一事件について再び公訴を提起することを許さない原則」と書いてあった。なるほど、今回は刑法事案ではないから、何回も提起できることになる。ただ、新しい証拠が出たわけでもなく、6年前から社会情勢が大きく変化したわけでもないから、同じ法律体系の条文と判例の中から異なる判決が出る方が異常であり、今回の判決は妥当だと考える。
 紙面には、司法の踏み込んだ判断が得られなかった とも書いてあったが、元々司法は法律の枠組みに縛られる極めて保守的なものだから、世の中の流れの先取りをできないところと諦めた方が良い。立法機関が現行法を改正し「選択的夫婦別姓制度」をきちんと条文化するしかないのである。
 私は、マスメディアが「夫婦に同姓を強いるのは日本しかなく」という形で、日本の後進性を際立たせるような言い方をすることに賛同できない。例えば中国は夫婦別姓を強いる国であり、これは嫁として嫁いで来ても、その家の一族には入れないという中国の伝統文化を反映している。またイスラム教では苗字がない(姓名の姓がない)。名前は自分の名前の後ろに父親の名前を付ける形で呼ばれる。こんな国に夫婦同姓も夫婦別姓もない。つまり、国により、民族により、独自の理由があって夫婦同姓を強いていないだけなのである。私は、長い伝統と文化に根差した制度を「世界標準から外れる」という理由で世論誘導して欲しくない。f:id:TatsuyaYokohori:20210624114916p:plain
写真左は、今朝撮影した農業用水路を泳ぐ鴨の親子、右は拙宅の庭で抱卵10日目となった雉である。鴨も雉もオスは子育てしないから、イスラム教のように、どのお父さんの子供と名付けることはできない。