タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

mRNAワクチンが抗原を作り出す仕組み

 かねて、mRNAワクチンがどのように抗原を作り出すのか不思議に思っていた。抗原とは、新型コロナワクチンの場合、コロナウイルスの突起であるスパイク蛋白質になるわけだが、これを作り出すには、mRNAが細胞に侵入して、細胞内の蛋白質製造装置にmRNAの遺伝子情報をインプットして所謂「翻訳」をしなければならない。私はずっと、『mRNAはどのようにして細胞へ侵入するのか?』と不思議に思っていた。先日ネット記事を見ていてこの疑問が解消した。f:id:TatsuyaYokohori:20210701110114p:plain
 上図は、DNAワクチンやmRNAワクチンがどのようにして抗原タンパクを作り出すかを示している。私が疑問に思っていた「細胞への侵入」は、エンドサイトーシスという細胞自身が持つ機能だと分かり疑問は解消した。私は、ウイルスが細胞へ侵入するようにmRNAも細胞へ侵入するのかと思っていたが、侵入ではなく細胞が取り込む形となっていたわけだ。
 今から38億年ほど前、太古の海に生命が誕生した頃は、あらゆる生命は皆単細胞であった。それから十数億年過ぎ、エンドサイトーシスという機能を備えた単細胞生命体が生まれ、その生命体はミトコンドリア生命体を取り込み共生を始めた。この共生により、ミトコンドリアの 糖代謝エネルギー生成機能 を手に入れた生命体は多細胞化を進め、進化し繁栄した。mRNAワクチンがきちんと効力を発揮する裏には、我々人類の祖先がまだ単細胞であった頃に手に入れた機能の貢献がある。
 mRNAワクチンは筋肉注射で接種する。静脈注射では、血液内に挿入されたmRNAは細胞に届けられる前に、免疫T細胞に捕獲され抹殺される。経口服用した場合は、胃腸の消化器系で分解されてしまう。一方で筋肉注射の場合は、非常に壊れやすいmRNAが、脂質の膜をまとったまま筋肉細胞に取り込まれ、その細胞でスパイク蛋白質の生成が始まる。そしてしばらくすると、免疫系が筋肉細胞の異常を感知して炎症物質をばらまき、このため腕が痛くなったりするが、免疫T細胞は活性化され、免疫B細胞は抗体を作り始める。
 改めて、数十億年かけて進化し獲得した生命の機能に感謝したい。
 



キジの雛誕生

 今朝、拙宅庭で抱卵中のキジの定期点検に行ったら、何と孵化したばかりの雛鳥が数羽、巣から出てよちよちと歩き回っていた。f:id:TatsuyaYokohori:20210629093119p:plain
写真を撮ろうと近づいたら足早やになり、ドクダミの茂みに逃げ込んだ(写真右)。その茂みには母鳥もいた。巣にはまだ孵化していない卵も見えた。
 誕生したばかりの雛は実に愛くるしい。今日は朝からとても良い気分である。

P.S.
昼前に巣を確認したら、15個の卵が全て孵化していた。庭中探してもキジがいなかったので、表に回ってみたらキジの親子がいた。母鳥は私に気付き激しく鳴いて子供を呼ぼうとした。雛たちは親鳥が鳴く方へと戻ろうとしたが、一部の雛たちはレンガブロックを降りてしまっていたので、そのブロックをなかなか登れなかった。最後の1羽がどうしても登れなかったので、親鳥が数m離れた後、私が両手ですくい上げ、レンガブロックの向こうへそっと降ろしてあげた。f:id:TatsuyaYokohori:20210629134758p:plain

P.S.
夕方再度確認したら、親鳥も雛たちもどこにもいなかった。我が家から巣立ち自然に帰って行った。





般若心経の神髄

 妻の実家は曹洞宗である。義父や義母が亡くなった折には、毎月の月命日にお坊さんが来てお経を唱え、その際教本が配られ、門徒でもない私も般若心経を読経させられた。
 観自在菩薩      かんじざいぼさつ 
 行深般若波羅蜜多時  ぎょうじんはんにゃはらみったじ 
 照見五蘊皆空     しょうけんごうんかいくう
上はこのお経の初めの部分だが、意味も分からず ふりがなの方を必死に読む形で、毎月のお努めを果たした。
 このお経の神髄は何だろう? 私には、
 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 
が、このお経の結論であり神髄のように思える。
すなわち、
 「色」は「空」と異なるものではなく、「空」は「色」と異なるものでもない
 「色」はすなわち「空」であり、「空」はすなわち「色」である
と結論付けているように思える。そうなって来ると、問題は「色」とは何かである。この「色」の意味について、以下がヒントとなる。
 無眼耳鼻舌身意
 無声香味触法
「眼」に対する「色」、「耳」に対する「声」、「鼻」に対する「香」と、感覚器官とそれが知覚する感覚が対比的に書いてあり、「色」とは狭義には「見えている感覚」という意味になると思われる。また、広義には、眼に見える視覚を五感の代表として、「知覚できる全ての感覚」を意味すると思われる。そしてこのお経は、五感も無ければ、五感の対象となる実体(見えているものとか音を発するもの)も無い、これらの「色」は「空」であると言っているように思える。
 この宇宙は「無」から生まれたと考えられている。今から138億年前、真空に潜在するエネルギーが析出してこの宇宙の種ができ、インフレーションにてあっと言う間に拡大し、ビッグバンにて巨大な宇宙へと成長した。宇宙をこのように理解できているなら、色即是空 空即是色 は、この世の真理を端的に言い表していると理解できる。そして、真理の理解は悟りにつながるのである。

人工授粉

 昨日、今日と2日連続で、カボチャに人工授粉を施した。今年は4株のカボチャが植えてあるが、棚の上で咲いてる雌花は、つるが入り乱れているので、どれがどの株の花かも分からない。もう自家受粉か他家受粉かも分からず、そんなことはお構いなしに人工授粉を行った。だいたい、スーパーで買って来たカボチャを食べた後の残り物の種を撒いて、芽が出て来た中の4株なのだから、この4株は兄弟の関係にある。すなわち、元々近縁の中での交配になるので、自家受粉も他家受粉も大差ないのである。f:id:TatsuyaYokohori:20210627220749p:plain
写真左は先日の雨の日に開花し受粉せずに萎んだもので、実が大きくならないで赤茶けてきた。写真中と右は人工授粉を施したもの。花びらを破って雌しべを露出させ、雄花の雄しべをこすり付けた。それにしても、人工授粉は大変である。空中栽培をしているため、脚立を登っての高所作業になるからである。

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キュウリも随分伸びて高い壁のようになってしまった。最近は毎日毎日キュウリを食べている。






町内公園清掃

 今日は町内にある児童公園の清掃日だった。昨年来、密を避けるため、清掃は町内総出から班毎に担当月を割当てる方式に変更されており、そのため参加人数が二十名程度と少なかった。また、前回5月度の参加人数も少なかったと見えて、公園の一画は、草が伸び放題となっていた。幸い今日は、自宅の草刈り機を持ち込んだ人がいたため、何とか全体を刈り終えることができた。
 田舎のコミュニティの様相も、私が小学生で東京オリンピックを見た昭和の時代とは大きく変わってしまった。あの頃はどの家にも子供がいて、児童会を通じての近所付き合いが沢山あり、町内でバスを貸し切り海水浴に行ったり、近くの山へハイキングへ行ったりした。春と秋の祭りでは青年団が獅子舞をし、葬儀の時は町内総出で手伝い弔った。町内の人の8割がた、顔と名前が一致した。
 最近は、新型コロナが流行る前から、地域コミュニティでの付き合いは減ってきている。今日のようなボランティア参加では、多分参加率は3割に届かないであろう。葬儀はほとんどが家族葬で、祭りも無く、運動会も無く、リクレーションも無く、淡々と1年が過ぎて行く。寂しい限りである。
 今日は年中行事の一つである、ユニットバスの清掃を行った。蛇口下のカバーは、浴室床に仰向けとなり、天井を見てねじ回しを回さなければならず、結構きつい仕事になる。ユニットバス側面のカバーも外して1年分のカビ取りをし、夏を迎える準備ができた。

 

夫婦別姓

 今日の地方紙朝刊の一面に「夫婦別姓 再び認めず」とあった。2015年に引き続き、最高裁は今回も現行法が合憲だと判断した。この記事を見て、法学の知識に乏しい私は、「何で同じ事案を何回も裁判にかけるのだろうか?」と思った。一事不再理 という言葉がある。ネットで調べると、「刑事訴訟法上,ある事件について有罪無罪の判決または免訴の判決があって確定した場合に,同一事件について再び公訴を提起することを許さない原則」と書いてあった。なるほど、今回は刑法事案ではないから、何回も提起できることになる。ただ、新しい証拠が出たわけでもなく、6年前から社会情勢が大きく変化したわけでもないから、同じ法律体系の条文と判例の中から異なる判決が出る方が異常であり、今回の判決は妥当だと考える。
 紙面には、司法の踏み込んだ判断が得られなかった とも書いてあったが、元々司法は法律の枠組みに縛られる極めて保守的なものだから、世の中の流れの先取りをできないところと諦めた方が良い。立法機関が現行法を改正し「選択的夫婦別姓制度」をきちんと条文化するしかないのである。
 私は、マスメディアが「夫婦に同姓を強いるのは日本しかなく」という形で、日本の後進性を際立たせるような言い方をすることに賛同できない。例えば中国は夫婦別姓を強いる国であり、これは嫁として嫁いで来ても、その家の一族には入れないという中国の伝統文化を反映している。またイスラム教では苗字がない(姓名の姓がない)。名前は自分の名前の後ろに父親の名前を付ける形で呼ばれる。こんな国に夫婦同姓も夫婦別姓もない。つまり、国により、民族により、独自の理由があって夫婦同姓を強いていないだけなのである。私は、長い伝統と文化に根差した制度を「世界標準から外れる」という理由で世論誘導して欲しくない。f:id:TatsuyaYokohori:20210624114916p:plain
写真左は、今朝撮影した農業用水路を泳ぐ鴨の親子、右は拙宅の庭で抱卵10日目となった雉である。鴨も雉もオスは子育てしないから、イスラム教のように、どのお父さんの子供と名付けることはできない。




東京オリンピックまであと1ヶ月

 東京オリンピックまであと1ヶ月となった。20日前のブログ(6/3ブログ)では、「まだオリンピック中止派が6割だが、その内、掌返しで賛成派が多数になるであろう」と予想していた。最近の世論調査によれば、「無観客による開催賛成」を含めれば、開催賛成派が半数を超えた。私にとっては予想通り、政府や東京都にとっては予定通りというところであろうか。
 それにしても、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は、強い警告のメッセージを発信続けている。感染症専門家としての信念を示しているので、これはこれで良いと思う。一方で私が残念に思うのは、『それなら経済の専門家は分科会で何と発言しているのか?』という点である。経済の専門家は純粋に経済の観点から、「緊急事態宣言により、日本のGDPは**%下がり、失業者は何人増え、自殺者は何人増えた」と事実を忠実に言って欲しいのである。具体的に「オリンピックの観客動員数と野球やサッカーの動員数は同程度であり、野球やサッカーの方は今までの感染対策によりクラスターが発生した報告はない」と感染症専門家が言えない意見を表明して欲しいのである。
 感染症の専門家から、「オリンピックは無観客開催が望ましい」と言う意見が出るのは当たり前の話であり、それは、「感染拡大阻止」を至上命題として、人流を止め、飲食を止めることを必達と考えているからである。ところが、ここで一度立ち止まり再考しなければならない点は、本来の至上命題は「死者数の最小化」であって「感染拡大阻止」ではない点である。この分科会は、目的を感染拡大阻止としているから、提言が間違ってくるのである。ワクチン接種が進むにつれて、新型コロナが「ただの風邪」に変わっていく。そうなるといよいよ、「死者数の最小化」と「感染拡大阻止」が異なることであることがはっきりしてくる。もし新型コロナがただの風邪になれば、東京都で1日2000人の感染者が出ようが、問題無くやり切れるのである。感染者数がリバウンドしてもびくともしない、重症者がこの程度なら医療の逼迫はないから死者数は極端には増えない と判断できる。
 もちろん、ここにおいてもう一つ大事な観点がある。死者数の多寡の評価である。日本では肺炎により毎年10万人程度亡くなっている。これは新型コロナ感染症の死者数のおよそ10倍になる。この辺りの事情が理解できているなら、感染者数がリバウンドして、年間死者数が1万人から1割程度上回りそうとなったとしても、その多寡を数量的にきちんと評価できるのである。
 ただ、これから7月に入り、間違いなく感染者数はリバウンドして増えていく。ワクチン接種率がまだ十分高くないので、重症者数もそれなりに増えると思われる。無事この難局を切り抜けることができるかどうかは微妙なところである。首相は、再度緊急事態の発出に至ればオリンピック無観客開催も止む無しと言っている。妥当な判断であるし、こう言わざるを得なかった。一ヶ月後にどうなっているかは私にも全く分からない。