タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

平安時代へ思いを馳せる

 今日は先月末からお出まし頂いていた天神様(菅原道真公)に、木箱の中へとお戻り頂いた。

 片付けの最中、道真公が刀を差していることに目が止まり、改めて『平安貴族は武芸もたしなんでいたのだ』と思った。今年のNHK大河ドラマ紫式部が主人公であるが、準主役である藤原道長が弓矢の鍛錬をしたり、第一話では、道長の兄の道兼が紫式部の母を刀で刺し殺すシーンもあった。武士という専門職に分かれる前の貴族には、漢籍に通じ、和歌を詠み、武芸に秀でる者もいたのであろう。
 藤原氏家系図に、菅原道真の「大宰府への左遷」を書き込むと以下の図となった。

 上図を見ると、菅原道真藤原道長は3代ほど時代が異なることが分かる。さて、今年の大河ドラマ紫式部を中心としながら、背景には、藤原氏の栄華の様を描いていくことになる。佐藤さんも、伊藤さんも、加藤さんも、皆「藤」の一字を引き継ぐ藤原氏の末裔であるから、平安時代の貴族のDNAが現代人にも受け継がれていることになる。

P.S.
 藤原氏家系図を見ると長子相続になっていない。何故かと思い調べたら以下の記事がみつかった。
-------------------------------------------------------------
「日本は平安時代くらいまで招請婚(しょうせいこん)・母子相続が一般的だった。妻の家に夫が婿入りして、居館は父から娘(+その夫)に相続される。ドラマでも藤原為時が側室の家に泊まって、まひろの家に帰ってこないときがあった。貴族には何人かの妻がおり、その妻の家を渡り歩いていたのだ。
 ところが、平安末期から父子相続に変わっていく。なぜかといえば、そこには収入の変化が関わっている。平安貴族の収入源は、官職にともなう報酬が主だったらしい。これに荘園からの上がりをプラスするくらい。だから、猟官運動が過熱する。当然、エライさんの息子は、若くして高い官職を与えられるから、居住実態が母子相続であっても、経済的には父子相続を実現できたのである。」
-------------------------------------------------------------
以上「「平安のF4」から紫式部まで貴族が「藤原だらけ」なのはなぜか…系図研究者が解説する藤原家の基礎知識」より(PRESIDENT Online)