タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

平安京には東寺もあれば西寺もあった

 今日は、前回(関ケ原)の歴史探訪の旅の続きで「東寺」についてである。関ケ原から東海道線一本で京都まで来て、そこから近鉄線1駅の東寺駅で降りたら、五重塔が見えた。この塔は、826年に空海により創建着手されたものだが、今回初めて近くまで寄って見上げて、その大きさに改めてびっくりした。平安時代に地方から都に出て来てこれを見上げたら、その壮大さにびっくりし、朝廷の威光に畏敬の念を抱いたに違いない。
 今回は秋の特別拝観の期間中だったため、五重塔の内部の如来像や、講堂内の仏像の数々を見ることができラッキーだった。暗い講堂内には、電灯に照らされた四天王像(東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天)や菩薩像、如来像が立ち並び、荘厳な雰囲気を醸し出していた。そんな中、象に乗った帝釈天を見た時は、何か親しみを感じた。葛飾柴又の寅さんを思い出したからかも知れない。
 ところで、今回の旅の一番の目的は、東寺の西側にある西寺の跡を確認することであった。NHKの番組「ブラタモリ」でやっていた内容を、自分の足で歩き、自分の目で確認したかったわけである。

 東寺を出て、東寺南端を東西に走る国道1号線を西へ6,7分歩いて行くと、羅城門跡と書かれた石柱が見つかった。羅城門とは、平城京平安京の京域南端中央に設けられた正門である。従って、平安京ができた時はここに門があって、その門を抜けると、北へ朱雀大路が一直線に伸びる景色となっていたことになる。
 羅城門跡から更に西へ5,6分歩き、細い路地を曲がってちょっと北へ行ったところに西寺跡があった。この地は今は公園になっていて、数人の子供たちが夕日を浴びながら遊んでいた。
 さて、平安京は、東の端に東寺があり、西の端には西寺があって、中央の羅城門を抜けて中に入れば、幅およそ1100mの京域が広がり、その中央には朱雀大路が真っ直ぐ北へ伸びていたことになる。何度も言うが、地方から出て来た小役人は、平安京の壮麗さに度肝を抜かれたに違いない。