タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

男と女の間

 トランスジェンダーであるニュージーランドウエイトリフティングの選手が、女子87キロを超えるクラスで東京オリンピックの出場権を獲得した。元々男として生まれ、2013年に性別適合手術を受けて女となり、2017年の世界選手権では、女子90キロを超えるクラスで銀メダルを獲得した。こんな選手がオリンピックに出場するという実に難しい問題が生じている。
 まず、トタンスジェンダは、遺伝子により生物学的に ある一定数必ず起き得る一般的な事象と捉える必要がある。すなわち、夜の中には男と女の2種類しかいないのではなく、男にも、男らしい男と女らしい男がいて、一方で女らしい女と男らしい女がいる。このようにして、男と女の間には、より男らしいからより女らしいまで連続的に中性的な人が無数に存在する。それを今までは、生まれた時の外性器の違いで強制的に男か女かに2分してきて、それ故に個人の悩ましい問題が表に現れて来なかっただけなのである。
 最近はLGBTへの理解も広がり、様々な権利(例えば同性同士の結婚)も認められようになっているが、今回の問題はLGBT側への権利(オリンピックへ出場する権利)と非LGBT側との間の公平性がぶつかる難しい問題になっている。ウエイトリフティング競技は男女を分け、体重別クラスを設け競技の公平性を保っているのに、男性から女性に転向した選手が出場して公平性が保てるのか疑問が残るわけである。IOCのガイドラインは、男性ホルモンのテストステロンの値が12か月間にわたって一定以下であれば出場を認めるとのこと。IOCの苦労が透けて見える。IOCは多様性と調和を謳っており、トランスジェンダの出場を認めないという選択肢は無く、何等かの基準を作るしか無かったわけである。この基準で直ぐに皆が納得するはずがないが、まずは第一歩ということで評価したい。
 問題は他にもある。今後LGBTであることのカミングアウトが次第に低年齢化するであろう。第2次性徴期、いわゆる思春期に「男と女の間の問題」は顕在化する。もし、トランスジェンダで女子だとカミングアウトした男子が、女子用トイレを使用したいとなったら、学校側はどう対処すべきであろうか? その前に親は、その子の言い分を認めて性転換手術を許可すべきであろうか? そしてそんな児童が増えて来た時、学校側は体育の授業やトイレの区別をどのようにしたら良いのであろうか?
 このように考えると、トランスジェンダ問題とは、差別をしないでどのように区別したら良いかの問題であり、また同時に、少数派の権利は認めるがどうしたら多数派との公平性が保てるかの問題でもあるように思える。