タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

政治家の評価

 今日は日中国交正常化50周年の節目の日である。日本と中国は1972年9月29日、北京で日中共同声明に調印し国交を結んだ。声明は、日本が過去の戦争で中国国民に重大な損害を与えたとして「責任を痛感して深く反省する」と表明。中国は日本への戦争賠償請求の放棄を宣言した。この正常化を主導した当時の田中角栄首相は、その後、高支持率を背景に「日本列島改造論」の具体化に邁進する。ところが、日本列島改造ブームが地価の急騰を引き起こし、翌年に起きたオイルショックと相まって「狂乱物価」を引き起こす。そしてその翌年(74年)に起きた「田中金脈問題」により、田中内閣は退陣に至ることになる。そしてその後1976年にロッキード事件が勃発し、政治家 田中角栄の評価は深く沈むことになった。
 この田中角栄氏が、最近再評価されているという。評価がしっかり固まるには、50年という年月はまだまだ短いのだろうか?
 最近西九州新幹線が開業した。この路線は1972年12月12日、建設を開始すべき新幹線として告示され、翌73年に、整備計画が決定された「整備新幹線」の5ルートのうちの一つ(九州新幹線長崎ルート)である。50年前、日本列島改造論の中で計画したものが、ようやく実現したことになる。そして、この西九州新幹線を作ったことに対する評価は、もっと先になる。
 50年前の日中国交正常化の際は、領土問題を棚上げとし、国交を結ぶことを最優先とした。賢明な判断だったと私は評価したい。実際周恩来は、「存小異、求大同(小異を残して大同につく)」と言った。領土問題という小さな意見の相違を棚上げにすることで、国交正常化という大きな目的が達成されたわけである。しかしながら、この棚上げが、未来へ火種を持ち越すことになった。ここ数年、尖閣諸島領域への中国船の侵入が高水準のまま推移している。私は中国の肩を持つ気は更々ないが、中国人にしてみたら、「棚上げにしてあったものを勝手に国有化した日本が悪い」ということになる。
 このようにして、政治家の評価は50年経ってもなかなか定まらない。国葬儀の弔辞の中で、菅前総理は、故安倍晋三元総理が生前「山県有朋」を読んでいたことを明かした。この本の中で、著者である政治学者 岡義武は、山県有朋のことを「天皇制の上に自己の巨大な権力を構築」し「民衆は彼にとっては、支配の客体にすぎなかった」と批判している。安倍元首相は、同郷(有朋は長州藩出身)の先人を評した本をどういう思いで読んでいたのであろうか? そして安倍元首相自身の評価は、いつ、どういう形で定まるのであろうか?