タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

北陸地方の行政区分

 今日の早朝ウォーキングで、雨上がりのアスファルトの道をカタツムリがゆっくりと動いていた。田舎の細道ではあるが、通勤時間帯になれば車も通ることになるので、脇の側溝の方へ移動させてやった。

 昨日、北陸地方が梅雨入りしたとみられると発表された。発表したのが新潟地方気象台である。何故北陸の一番外れにある新潟地方気象台が北陸全体を代表して発表したのであろうか? 多分、一番北にある新潟県も含めて梅雨入りしたから、新潟地方気象台の責任として発表したのだろうと思った次第である。
 北陸地方と言うが、新潟県が入るか否かで範囲が大きく異なる。この北陸地方は、大化の改新(645年の乙巳の変)の頃、「越国(えつのくに)」と呼ばれていた。律令制が整備される中で、越国が689年-692年(持統天皇3-6年)越前国越中国越後国の三国に分立し、718年養老律令制定により能登国越前国から分離し、その後823年、さらに越前国から江沼郡と加賀郡を割いて加賀国が設置された。そして現在、京都に近い順に、福井県、石川県、富山県新潟県となっている。

 上図は各県の面積と人口を比較しているが、福井県、石川県、富山県の3県の面積を合計すると、だいたい新潟県の面積に等しくなる。とにかく新潟県は広いのである。私が高岡市内の高校へ通っていた頃、大学入試を控えてある学友が「京都大学新潟大学、どちらが近いと思う?」と質問してきた。私は、隣県にある新潟大学の方が当然近いと思っていたが、実際には双方で距離がほぼ等しいことをその時初めて認識した。
 富山県新潟県は、律令制が始まる飛鳥時代から地方行政区分がほとんど変化していないことになるが、両者の広さは約3倍異なる。地方行政区分が面積で均等割りには決まらなかったということである。もちろん、田畑の耕地面積や人口で決まったとも思えない。富山県は四方を高い山と海とで囲まれている。峠越えの向こうの村と行政区分を同一にすることは、今以上に昔は現実的ではなかったのであろう。すなわち、行政区分は自然が作った山や海や川により決まったのである。
 一方でウクライナやロシアへと目を転じると、そこには大平原が広がり、自然が定める国境が存在しない。当然、国境は人為的に定めることとなり、戦争により何度も国境線が動いたことになる。そう考えると、日本という国は自然に守られた国だと思えてくる。