タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

筍を掘って考えたこと

 今日は私の実家の裏山で筍掘りをした。少々小ぶりではあるが、まずまずの収穫だった。

 筍は竹の子供ではない。裏山に群生している竹の遺伝子とその山の麓で掘った筍の遺伝子は同一であり、すなわち筍は竹という生命体の一部ということになる。
 筍が成長すれば竹になるが、竹(モウソウチク)は強くてしなやかであり、この辺りに降る雪にも耐えて折れたりしない。しかも中が中空であり、軽くて強い。ふと、竹の維管束はどこにあるのか? と思った。維管束とは中学校の理科で習ったが、根から吸い上げた水や養分が通る道管と葉での光合成で作られた養分が通る師管を束ねたものである。
 
 上図は竹の維管束鞘を拡大したものだが、竹にはこの維管束鞘が無数に存在する。

 上は、竹(モウソウチク)の断面写真[左]と、その一部を拡大した電子顕微鏡写真[右]である。ハート型の黒い孔を取り囲む肉厚の膜が維管束鞘であり、断面の外側部分で密に詰まっている様子がわかる。
 竹が強いのは、この維管束鞘を含む繊維質の組織が密に配置されているからである。竹が軽いのは中が中空だからである。竹が強くて軽いのは、断面剛性が稼げる外周部分に強度部材である繊維質を密に配置しながら、断面剛性が稼げない中心部を中空にしたからである。
 竹には形成層が無いから、年輪を重ねて成長することはない。筍は1,2ヶ月で竹へと成長するが、竹となり成長が止まった時点で、その後は縦にも伸びないし、横に太ることもない。
 このように考えると、竹とは実に不思議な植物だと思う。毎年毎年筍は生えてきて成長する。ただこれは、子孫が増えているわけではなく、竹という生命体が生活範囲を広めているだけである。竹林の中では枯れた竹を目にすることもあるが、これは死を意味せず、竹という生命体の一部が壊死しただけである。そして、この永遠の寿命を持つように思われる竹も、花を咲かせることがある。花を咲かせた後、竹林全体が枯れて寿命を全うするのである。