タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

GoToキャンペーン その5 温泉に浸かり縄文時代に思いを馳せる

 昨日から一泊で県東部にある金太郎温泉へ行って来た。いつものように県民割引きによるお得な旅行となった。この温泉は岩風呂が立派であり、縦長や平板状、奇岩状の巨岩を数十並べた岩山を見ながら浴槽に浸かっていたら、変成岩から糸魚川ー静岡構造線へ、糸魚川から翡翠(ヒスイ)へ、ヒスイから縄文時代へと連想が繋がり、縄文時代への想像が膨らんだ。
 青森県青森市三内丸山遺跡では紀元前3500年頃(約5500年前)のヒスイが発見されている。ヒスイは糸魚川でしか採れないので、この頃(縄文時代前期)既に、青森県の三内丸山と新潟県糸魚川の間に交易があったということになる。実際糸魚川市には、約紀元前3,500年頃から1,000年ほど営まれていた北陸最大級の集落長者ケ原遺跡がある。そして隣接する富山県にも小竹貝塚があり、ここから出土した人骨のゲノム解析については、9/18のブログでも話題にした。小竹貝塚は今から約6000年前の遺跡と言われており、三内丸山遺跡や長者ヶ原遺跡と同じように縄文時代前期の遺跡となる。
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 上図は縄文前期の富山県の様子であり、この頃は温暖で今より海水面が4,5m高かったため、富山市高岡市の中間に位置する射水平野の大半は水没して潟湖になっていたことが分かる。そしてその潟湖の湖岸付近に小竹貝塚があったことになる。私が生まれて高校卒業までいた土地が縄文時代は潟湖であったとは驚きであったが、そう言えば隣接の町の名前が大島町だったことを思い出し納得した。
 縄文時代は最終氷河期が終わる中で始まったと言える。世界中で気温がどんどん上がっていった。気温は約6500~6000年前がピークで今より平均で1,2℃高かったと言われている。今の地球が今後もCO2増加が進み温暖化が進展した場合、縄文前期のような状態になると思えば良い。
 この当時(縄文前期)日本の人口は10万人程度だったと推定されている。私の先祖の何人かは小竹貝塚で漁猟生活を送っていた可能性大である。12/10のブログで「ファクターXは日本人の6割が持つHLA(ヒト白血球抗原)の型HLA-H24が影響している可能性大」と述べたが、この型は縄文人から受け継いだらしい。私の体も縄文の先祖から受け継いだ免疫で守られていると思うと、御先祖様への感謝の気持ちで一杯になった。