タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

Y染色体ハプログループと日本人の成立過程

 昨日はHLA(ヒト白血球抗原)の遺伝子タイプにおいて、日本人にはHLA-A24が多いという話をした。この遺伝子タイプは日本人ばかりでなく中国人や朝鮮人にも多いと思われる。この理由は、現生人類がアフリカを出てユーラシア大陸に拡散する過程でゲノムの様々な箇所で変異が発生しているため、最終到達地の地域的な近さが、遺伝子タイプの近さになって現れるからである。
 ヒトのゲノムは30億塩基対という莫大な情報量を持っているが、男性の性染色体である「Y染色体」の遺伝子タイプ(Y染色体パプログループ)は情報量もコンパクトで調査も進みデータベースも充実している。またY染色体は父性由来となるため、男系祖先を辿ることもできる。今日はY染色体ハプログループについて調べてみた。
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上図はY染色体ハプログループの系統樹を示す。日本人、中国人、朝鮮人、欧米人の祖先がどう分岐し現在に至っているかが示されている。日本人は早い時期に分岐したC系とD系からなる縄文人と遅い時期に分岐した中国人や朝鮮人と同系列のO系の弥生人から構成されている。f:id:TatsuyaYokohori:20211211230553p:plain
上表は、各国における各ハプログループの人口比率を表す。日本人においては、縄文系と弥生系がバランス良く混血していることが見て取れる。日本人が中国人や朝鮮人に比べて大きく異なる点は、日本固有のD1a2aが約4割と主要なハプログループになっている点である。
 これらから見えてくる人類移動(日本人形成)の歴史は、5万年前の出アフリカから始まり、初期に分岐したC系、D系の祖先が、数万年前の最終氷期に地続きになった日本列島まで到達し縄文人を形成した。一方中国大陸では、遅れて分岐したO系の祖先が、3万年前頃までにはO1系、O2系と分派しながら、大陸中央部で次第に優位となっていった。そして、それまでいたC系D系ばかりでなく、対立するO系の民族も大陸の周辺に追いやった。その一部は日本列島まで逃げ延び、弥生人として縄文人と混血し日本人を構成した。
 定かではないが、天皇家はD1a2aだと言う。昔、騎馬民族征服王朝説という説があったが、現在のゲノム解析により、何が正しいか白黒はっきりさせることができるようになった。

P.S.
以下の図は、朝日新聞Globe+に載っていた記事「アフリカを出た人類、どう全世界に広がったのか」からの抜粋である。f:id:TatsuyaYokohori:20211214154920p:plain
これによれば、縄文人の祖先はヒマラヤの南を回るルートを通り、3万8000年前に日本列島に到達したことになる。当時は寒冷で、海水面は推定で約80メートル低かった。北海道はサハリンを介して大陸とつながっていたが、津軽海峡対馬海峡琉球列島の周りの海は深かった。従って、私が想像した「朝鮮半島対馬海峡ルート」は地続きにはなっていなかったことになる。謎は尽きないが、だからこそ面白い。

P.S.
7万年前頃から始まった最終氷期(ヴュルム氷期)は2~1.8万年前に最寒冷期となる。海水面は現在より120m低かったと考えられている。宗谷海峡は陸橋となり北海道はサハリンを介して大陸とつながっていた。津軽海峡は水深10m程度で冬季には氷橋となっていた。対馬海峡は干上がっていたが、朝鮮海峡は水深8~10mの浅瀬となり、幅も18kmまで縮まったと考えられている。