タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

お寺の住職の葬儀

 今日は妻の母方の叔父の葬儀であった。その叔父さんは寺の住職でかつ中学校の先生を務めた人であり、昭和6年生まれで享年90才の大往生であった。私もここまで色んな葬儀に参列してきたが、お寺の住職の葬儀は今日が初めてであった。
 場所はもちろん住職の寺にてであり、住職の宗派である曹洞宗の様式に従い、ドラや鐘、木魚やにょうはち(シンバル)を使ってにぎにぎしく始まった。本堂に向かって中央正面に、導師様3人が消防士のような肩まで掛かる立帽子をかぶって座り、左手にはお坊さんたちが十数名、右手には親族と一般参列者。僧侶20名がベートーベンの第九のように読経する荘厳な式の始まりとなった。
 一通りの読経が済んだ後、弔辞が始まった。1番目と2番目が どこそこの住職の、3番目が富山市立中学校の校長先生の、そして最後の4番目が故人の教え子で、昭和34年XX中学校3年2組代表のおばあちゃんによる弔辞となった。4人もの人が弔辞を読むというのは生まれて初めての経験であった。
 その後3人の導師様のパフォーマンスが始まった。一人目は極楽浄土へ送るお経、二人目が立てたお茶をこれからの旅路に添え、三人目が松明でもって送り出す、今まで見たことも聞いたこともないような立ち振る舞いを見学することができた。
 続いて弔電が読まれた。一番目は曹洞宗大本山永平寺貫主からであり、伝え聞くところによれば、故人は戦後永平寺が融資を必要とした際に、銀行側と掛け合い融資を成功させたそうで、永平寺からは相当感謝されているとのことだった。
 続いて参列者の焼香となり、祭壇までの途中に故人に授与された 瑞寶雙光章 の賞状と勲章が飾られていた。昭和6年と言えば満州事変が始まった年であり、故人が生まれてからの14年間は戦争の中で苦労の連続であったことであろう。その後苦学して大学を卒業され数々の業績を残し旅立たれたことになる。ご冥福を祈った。
 午前10時から始まった葬儀は、途中から梅雨明けのような日差しが入る蒸し暑い式とはなったが、初めての経験づくしで、一時間半があっと言う間に過ぎた。

 人はいずれ死にゆく生き物である。先日読んだ本には、「生物は進化の末、寿命というタイムリミットを手に入れ、死ぬことができるようになった」と書いてあった。確かに、不老不死の生物がいる。ノーベル賞受賞者山中伸弥博士は、IPS細胞は不老不死だと言っていた。最も身近な不老不死の厄介者はガン細胞である。この地球に初めて生物が誕生した頃、その単細胞生物は不老不死であったが、その後進化の過程で有性生殖という繁殖の仕方を身に着け、それと同時に寿命という宿命を手に入れたらしい。死ぬということを不幸と思うのではなく、死ぬことができるようになった進化の重みを噛みしめるべきなのであろう。一つ真実が分かる度に また一つ悟りが開けていく。