筍掘り

 昨日は妻の母方の実家の裏山で、今日は私の実家の裏山で筍掘りをした。

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 妻の母方の実家は、富山市街地から立山山麓に向かって30分程車を走らせたところにある。実家と言っても、もう家もなく誰も住んでいないので、元実家があった場所と言うのが正しい。この辺りにはもう近くに集落もなく、元あった駅舎の土台石の並びだけが寂しく残っていて荒れ果てている。線路と平行で伸びる県道に面したその元実家の竹林には、先着者が掘り起こした穴があちらこちらに空いていて、前日に収穫された後であろうと思われた。ただ、採り漏らした小ぶりのものが2つ収穫できたので来た甲斐はあった。先着者は多分この近くの住人だと想像するが、他人の土地の筍を取っていったのだから、はっきり言って泥棒である。ただこちらも妻が二親等の親類であるだけで、丹精込めて育てた筍でもないので、「一足遅かった」と思ったが、盗人を恨む気持ちは湧かなかった。
 私の実家は富山市と隣接する射水市にあるが、裏の小高い山が竹林となっていて、今朝行くと、地面から7,8cmほど頭を出した筍を5,6本見つけることができた。写真は今日の収穫物である。今日は実家から筍掘り用の鍬を貸してもらって掘ったが、これがなかなか難しかった。筍掘りは、根元にこの鍬を打ち込み、てこの原理でぐいと持ち上げ起こすのだが、丁度良い場所へと 、振り上げを低くし、コントロールを重視すると力が入らず、根元に深く打ち込めなかった。逆に大きく振り上げ、力を入れて振り下ろすと、右利きの私の場合、どうしても右の方へずれてしまい、ターゲットポイントから外れてしまった。
 ところで、筍は「竹の子」とも書くが、この筍は親竹から生まれた子供ではない。今日採った筍は皆、遺伝子が同じクローンである。またクローンと言っても、裏山の竹林の竹は皆 地下茎で繋がっているので、別々な個体ではなく、竹林全体で一個体と言える。このような生き方をしている植物にとって、「寿命」という概念も違ってくる。竹林の中には、折れて朽ち果てた竹もあるが、これは竹の寿命が尽きたことを意味しない。竹林全体として一つの生命体であり、その一部が壊死しても、新しい筍が竹へと成長するので、この生命体としては生き続けていることになるからである。
 それなら、人間も自分のクローンを作れば、たとえ自分が死んでもクローンが生き続けるから永遠の命を得たことになるかと言えば、そうはいかない。クローンでは心が継承できないからである。それでは、将来AIがますます発達して、私の頭脳の中の全てをAIに移植できたとしたら、そのAIは永遠の命を実感できるのであろうか? それとも、AIには自我があり、自分が元だれそれの頭脳であることも認識できるのだから、死んでしまった私のことを、自分自身とは思わず、自分を産み出した「親」だと思うのであろうか?