タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

森会長辞意

 東京オリンピックパラリンピック組織委員会森喜朗会長が辞意を表明した。この1週間、ワイドショーではこの問題を毎日のように扱っており、論調は押しなべて「森氏の発言は不適切」である。私も「不適切」との評価には同意するが、コメンテータの意見の中には、違和感を覚えるものが多々ある。
 まず一つ目は、この問題を「女性蔑視発言」とレッテルを貼って攻撃している点である。森さんは普段から女性を蔑視するところはないと思われるし、今回の発言は女性の特徴を述べただけで女性を軽蔑したわけではない というところが私の考えである。それなのに今回の論調は「女性蔑視」というレッテルを貼って、女性蔑視が悪いことだから森さんは悪いと評価している者が沢山いる。
 二つ目は、「そんな発言がつい出てしまうのは普段からそう思っているから」という意見に対してである。森さんは別に女性は男性より下だと思ってはいないと私は考えるが、一歩譲ってそう思っていたとしよう。しかしながら個人がどう思っていようがそれは個人の勝手であり、他人からとやかく言われることではない。だいたいにおいて、人は何を信条としようが、どう考えようが、個人の内心に関して自由であることは憲法にも保障されている。今回まずかったのは、個人の思うところにあるのではなく、それを不適切な形で表現してしまった点である。要は表現するところで失敗してしまったわけだが、失敗したことを謝ったら昔は許されていた。それが古き良き日本の文化だった。今の日本は昔に比べて不寛容になっているような気がする。
 人には本音と建前がある。英語でこれに対応する適当な単語が無いので、これは日本人に特有な気質と思う時もあったが、昨年の米国大統領選挙を見ていて、米国人にも同じようなものがあると思った。英語で表現すれば private opinion and public stance となる。米国民主党の建前は、福祉拡充(弱者救済)、多様性尊重(マイノリティ、ジェンダ平等)、国際協調、環境保護等あり、どれも理想的で耳障りが良いが、この民主党の建前に対し共和党支持者の本音は不満の嵐となる。例えば、「福祉拡充として働かないヒスパニックに生活保護を行うなら、もっと白人労働者に仕事の場を与え給料を上げてくれ」とか「環境保護とか言ってシェールガス開発に制限を加えるのは止めてくれ。この地域には、他に目ぼしい産業が無いのだから」とかである。
 今回の森さん問題は、本音が不適切な形で表現され、その上にそれ以上不適切と受け取られるレッテルが貼られたため、不寛容となった日本社会の中では許容できなかった問題 と私は捉える。建前だけで押し切る社会になればどこかで必ず綻びが出るであろう。