タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

台風への備え

 今日は台風襲来に備えて色々作業をした。窓の外側の簾を外し、サンシェードも畳んだ。前回横倒しとなった鉢物は納屋に入れ、丈の高い百日草などの花は支柱に縛って固定し、植え付けたばかりのブロッコリーにはキャップを被せ、留め具で固定後、キャップの縁に土をかぶせて飛ばないようにした。

 富山県は台風の被害が少ない県である。しかしながら、伊勢湾台風は別格だった。当時まだ幼かった私の記憶には、玄関戸が飛ばないよう、内側からつっかえ棒で押さえていた両親の姿が残っている。

 上表は、1959年9月に発生した伊勢湾台風の位置と中心気圧を示す。この台風が富山県を通過時の中心気圧が940~965 hPaだったことが分かる。これはだいたい、もう直ぐ襲来する台風14号が九州を縦断していた時の気圧に相当する。正に「今まで経験したことも無い」台風だった。

 夜になって少し風が強くなってきた。20時時点で中心気圧が980 hPaまで衰えたので、もう富山を襲った時の伊勢湾台風のような破壊力は無くなっている。夜の内に何事もなく通過して行ってくれと祈るばかりである。

P.S.
 一夜明け、朝8時の時点で台風の中心は宮城県気仙沼市付近にあり、太平洋へ抜けようとしていた。小雨の中、家の回りを点検したが、特にこれと言った被害は無かった。良かった、良かった。



 



暑い中での農作業

 今日も暑かった。富山市の最高気温は 31℃と またもや真夏日となった。そんな中、延び延びとなっていた家庭菜園の畑仕事をした。緑のカーテンとしていたゴーヤの株を抜き、ネットを撤去した。

 ゴーヤは根張りが良く、切れないよう丁寧に掘り起こすと、長い根で60cmほどまで伸びていた。今年の収穫量はこの3株で57本、まずまずの出来であった。
 その後、畝を作り、ブロッコリーの苗を5株植え付けた。今年は植え付けが遅れたので、雪が降る前に収穫できるか微妙になってきた。

 暑い暑いと言いながら、季節は確実に秋になってきている。写真左は、今朝のウォーキングの際、電柱に停まっていたサギで、背景の雲はすっかり秋の形になっている。写真右は、庭の隅に咲いた彼岸花シュウメイギクで、彼岸の入り前から咲きだした。近くの田んぼの稲刈りもほとんど終わってしまった。いよいよ秋たけなわとなるわけだが、現在大型で非常に強い台風が近づいて来ており、家庭菜園も含めて被害が出ないことを祈っている。





里帰りしていた娘と孫が帰って行った

 今朝、新幹線に乗って娘と孫が東京へ帰って行った。北陸新幹線という便利なものができたお陰で、昼には「おうちにつきました」とLINEで連絡が入った。それにしても、先週月曜から今日までの12日間は大変な毎日であった。一歳の子供がこんなに動き回り、意味不明な言葉で自己主張するとは思っていなかったので、今日駅で二人を見送った後、「これで元の静かな生活に戻れる」と思い正直ほっとした。この間で行った場所は、
 山室児童館
 金太郎温泉
 魚津水族館
 富山市ファミリーパーク(動物園)
 太閤山ランド(県民公園)
 蜷川児童館
 健康パーク
 常願寺川公園
 新湊元気の森公園、海老江海浜公園
 来た日と、帰った日と、台風が来た日以外は、どの日もどこかに行って孫と遊んだ。いやはや、さすがに疲れた。危なっかしくて放っておけない子供の見守りがこんなに大変だったなんて、遠い過去の記憶を探しても見つからないのである。妻も同じ思いだったらしい。「次は(次の里帰りは)もっと短くて良い。最長で一週間が限度」と言っていた。
 娘と孫は台風11号が来る直前にやって来て、台風14号が来る前に帰って行った。この間は正に嵐が来たような状態だったわけだが、本当の嵐は来週火曜日頃に来るようだ。


 上は今年の台風14号、下は昨年の台風14号。





秋の海

 明日は娘と孫が東京へ戻る日であり、今日は一緒に遊べる最終日である。ということで今日は海へ行った。
 今年はラニーニャの影響で、九月半ばにしてまだまだ真夏のような暑さであり、今日の最高気温も30℃に迫る勢いであったが、訪れた海浜公園の駐車場には車が数台止まっているだけ、海岸にいるのはうちの家族だけだった。
 孫は波しぶきを怖がって、抱っこされたまま水に触れようともしなかった。ふと、3年前のことを想い出した。娘の結婚式に出席のため、長男が二人の男児を連れて米国から一時帰国した。小学2年生と4年生の兄弟が、この海岸でじゃれ合ってびしょ濡れになってしまった。10月下旬の誰もいない海だった。

 50年ほど前、トワ・エ・モアが歌った「誰もいない海」という曲は、
  今はもう秋 誰もいない海
と始まる。何か無性に寂しくなった。



血管年齢測定

 昨日、ショッピングセンターで、近くにオープンしたスポーツクラブが無料血管年齢測定をやっていた。妻と娘がやろうと誘うので私も付き合った。洗濯ばさみのような測定器に左薬指を突っ込んで数十秒、出た結果は、血管年齢55歳で実年齢より10歳以上若かった。こんな方法でどのように血管年齢が測れるのだろうと思い調べてみた。
 血管年齢とは、血管の老化度を動脈壁の弾力性が年相応かどうかによって判断する。指先測定タイプは加速度脈波計と呼ばれるもので、脈波から血流のスピードを測定して、血管年齢を推定しているようだ。ここでこの方法を測定原理的に解釈すると、年齢が高くなる → 血管の弾力性が下がる → 血流が速くなる(管が硬くなればなるほど中を通る流体は高速で流れる。逆に血管に弾力があると、心臓が血液を動脈へ押し出そうとする瞬間動脈が膨らむので、血圧も下がるし血流スピードも落ちる)。よって、年齢が高くなると血液がより速く流れるようになる。


 上図は脈波の波形が年齢に伴い変化することを示している。この波形を指数化することで、波形から血管年齢を評価することもできるようである。

 

田舎の子供向け施設

 昨日は、妻、娘、孫との4人で富山市のファミリーパーク(動物園)に行ってきた。土曜日だと言うのに割と空いていて、娘はびっくりしていた。娘は近くにある上野動物園に何度か行ったようであるが、土日は人が多くて行く気がしないし、平日に行っても、人気館には必ず待ち行列ができるとのこと。一方で今日のファミリーパークでは、入り口でいきなりキリンを、檀上エサやり場で間近に見ることができ、その奥のアムールトラに至っては、ガラス越しの特等席をずっと占有して見ることができた。孫が飽きなかったら、いつまでも居続けて良いくらいであった。とにかく人が少ないから、見たい動物は、いつまでも好きなだけ見ることができるのである。
 今日は4人で射水市太閤山ランドへ行って来た。太閤山ランドは県民公園であり、森林の中に池やせせらぎがあって、そんな中にプールやアスレチック、サイクリングロードやスポーツ広場があり、子供連れが楽しく遊べる場所となっている。今日は暑かったので屋外での利用者は少なく、一方で冷房の効いた「こどもみらい館」は、走り回る子供たちとそれを見守る保護者で一杯であった。ただ一杯といっても、どの遊具も使おうと思えば待たずに直ぐに使えた。


 写真は展望台から眺めた太閤山ランドの一隅である。今日2時間半ほど遊んだ「こどもみらい館」から展望台まで400mぐらいであろうか。ここまで来る道ですれ違ったのは、サイクリングを楽しむ僅か4,5名で、見ての通り異常に人が少ない公園だった。もちろん、人が全くいないわけではなく、写真中央に見える園内トレインには、少なくとも運転手が乗っているし、その向こうにある池のほとりには、双眼鏡で見ると歩く人が数名見える。催し物があれば手前の施設付近には人だかりができるのかも知れない。しかしながら、通常の日曜日がこんな状態なのである。都会から来る孫たちには、こんな自然が一杯で人が少ない田舎の公園が良いと思った次第である。

円筒分水槽

 昨日の午後から、妻、娘、孫との4人で魚津市にある金太郎温泉に一泊二日で行って来た。一歳になったばかりの孫は、富山に来てから成長著しく、這い這いを止め、温泉ホテルの部屋や廊下を歩き回るまでになった。
 明けて今日は、近くにある東山円筒分水槽を見に行った。こんなものを見たいと思うのはもちろん私だけだが、妻と娘は文句も言わず、付いてきてくれた。というか、私が運転する車に乗っていただけと言った方が正しいかも知れない。

 写真は今日の東山円筒分水槽の様子であり、円筒槽から水が溢れ出していた。下図は、この円筒槽が3つの水路に水を均等に分配するために作られた施設であることを示している。

以下は立て看板に書かれていた内容である。

 片貝川は急流河川として名高く、その沿岸地域は豪雨時には水害、夏季には深刻な水不足に悩まされ、水争いが絶えなかった。このことから明治43年、民主的な分水の為の組合が組織された。
 ---中略---
戦争により工事を一時中断したが、昭和25年に再開して5ヶ年で農業用水利施設を完成した。
 ---中略---
 この円筒分水槽は、対岸の貝田新より片貝川をサイフォンで横断(L=163.2m)して、水路トンネル(L=135m)で接続している。

 この分水槽が、私が生まれる前に完成した施設であることが分かった。67年過ぎて未だに現役で働き続けている。公共事業が人々の幸せに直結し、また、昨日より今日、今日より明日が良くなると皆信じている、そんな良き時代であった。