タテよこ斜め縦横無尽

田舎の年金暮らしのたわごと

安全安心の隠れ蓑の下に透けて見える事なかれ主義

 昨日、日本対ベルギーの男子バスケットボール強化試合が行われ、87-59で日本が快勝した。富山県出身の八村塁選手も大活躍で、両チーム合わせて最高の24得点を入れ、NBAプレーヤとしての存在感を見せつけた。試合が行われた埼玉の会場には、日本チームを応援する声援も聞こえ、渡邊雄太選手が得点した際、ご両親が拍手して喜ぶ映像も流れた。有観客での感動を強く感じた瞬間であった。
 奇しくもこの日に、同じく富山県出身細田守監督の新作アニメ「竜とそばかすの姫」がカンヌ映画際で上映されたことが伝えられた。上映後スタンディングオベーションが10分以上も続いたという。そんな長時間拍手し続ける観客の感動も尋常ではないのかも知れないが、穿った見方をする私の目には、日本から来た名監督への「おもてなしの心」のように映った。
 日本は、おもてなし を示す機会が随分少なくなってしまった。おもてなしどころか、「バブルの穴」などのニュースが流れたりすると、オリンピックで日本を訪れる選手やスタッフ全員が「来なくても良い厄介者」に見えてしまう。
 宮城県知事は、宮城スタジアムで行われる東京オリンピックのサッカー競技を有観客で行うこれまでの方針に変更がないことを表明した。責任ある立派な態度だと思う。これに対し、宮城県医師会、仙台市医師会を始め仙台市市長までもが懸念を示し無観客を要請した。プロ野球は有観客OKでオリンピックはNGとする科学的根拠は全くなく、正にオリンピックだけを悪役として排除しておき、世間の風潮に同調して波風を立てたく無いだけの「事なかれ主義」と言わざるを得ない。
 日本人は長い間務めた会社を退職する時、大過なく務められたことをもって良しとする民族である。一方で、経営者からは、こんな 事なかれ主義 の社員ばかりの会社は将来倒産することになるので、リスクを恐れず果敢に挑戦する人材が求められる。リスクを正しく見極め、守りばかりでなく攻めの経営ができないと会社は衰退するのである。今の日本を会社に見立てた場合、私には、衰退企業 にしか見えて来ない。
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 写真は、背丈が八村塁ほど(203cm)にも伸びた拙宅庭のユリである。妻が開花を遅らせるため南側を遮光ネットで覆った。オリンピック開催に合わせて開花するだろう。



ミミズの思いとセミの思い

 家庭菜園をしている畑の方にはミミズが少ない。ミミズは土と一緒に枯れ草や落ち葉を食べ、体内で共生する微生物の助けを借りて消化し、毎日毎日自分の体重と同じくらいの糞を出す。この糞が植物にとっての食料となるので、ミミズが多い土ほど肥えた土壌となる。そして、このミミズが少ない我が家の小さな畑は、外部から投入する化学肥料と市販堆肥(牛糞、鶏糞)にて何とか維持できているものなので、今流行りの Sustainable からは外れている。
 一方で庭の方は、枯草は枯れたまま、落ち葉は落ちたままになっており、そういう中で雑草が伸び放題になっていて、雑草を引き抜くとミミズが顔を出す。つまり、こちらの方が肥えた土壌になっている。ただ肥えているのは地表から数cmであり、ここで野菜は作れない。
 ミミズは雌雄同体の動物で、一つの個体の中にオスとメスの生殖器を合わせ持つ。ただ植物のように自家受粉をするのではなく、必ず別の個体と交尾し互いの精子を交換し合う。交換し合った後は、双方の卵子と授精し双方とも卵を産む。
 ミミズは体節ごとに神経節が一対づつある。一対あるということは、右と左の差を感知できるということを意味する。そしてこれは、進行方向に左右を加えた2次元の世界をミミズは知覚できていることを意味する。
 ミミズの土中の思いは2次元の世界の中で展開される。進行方向に石があれば、それを避けるように行動する。進行方向に光を感じたなら、体表面が乾くと皮膚呼吸できなくなるので、地中の方へ戻らなければならない。しかしながら交尾は地上でしかできないので、太陽光が十分弱まった後、自分と同じような味と臭いを発する他者の這い回った後を、全身の皮膚で手探り腹探りしながら交尾相手を見つけることになる。
 一寸の虫にも五分の魂という。眼を持たないミミズに対し眼を持つ虫(昆虫)の知覚世界は2次元から3次元に広がるはずだ。土中から這い出たセミの幼虫の思いは、ミミズの交尾相手を見つける思いと同じはずだが、見えている世界は全然違うことになる。

セミは不思議な生き物

 本日、北陸地方の梅雨明けが発表された。いよいよ夏到来でセミも鳴き始めた。私が小学生の頃見ていた図鑑には、セミは幼虫として土の中で7年暮らすと書いてあった。ところが、ネットで調べると、日本のセミの幼虫期間はもっと短いようだ。ネットには「実際に土の中で7年も過ごすセミは日本にはおらず、ツクツクボウシで1〜2年、アブラゼミで3〜4年、クマゼミで4〜5年くらいのようです」と書いてあった。昔の図鑑には、一体何を根拠に7年という期間が書いてあったのだろうか?
 ところで北米には、13年ゼミとか17年ゼミとか言われるセミがいて、13年毎 あるいは 17年毎に大発生する。13も17も素数であることから、これらのセミ素数ゼミと呼ばれる。因みに2021年の今年は、17年前の2004年に大発生した17年ゼミの子供が17年振りに大発生している。何故こんなセミがいて、こんな風に周期的に大発生するのであろうか?
 素数ゼミに進化した理由は、日本人科学者の仮説として以下のように説明されている。今からおよそ200万年ほど前、地球は氷河期であり北米大陸は氷河に覆われていた。気温が下がると樹木の活動レベルも下がり、樹木の汁を栄養源とするセミの幼虫の成長も鈍った。セミの幼虫期間も次第に延びていき、北米の北部で14年~18年、南部で12年~15年となった。セミの中には土中にいる幼虫期間をきちんと遺伝情報として刻み、子孫へ伝達できる種が現れ、厳しい環境の中でこの幼虫期間をコントロールできる種が、周期的に大発生して交配し子孫を沢山残す種として生き残った。このようにして、氷河期の北米北部には、14年ゼミから18年ゼミまで生き残った。f:id:TatsuyaYokohori:20210714222453p:plain
 14年ゼミから18年ゼミまでの間では互いに交配することが可能であるが、例えば15年ゼミと18年ゼミの間に生まれた混血ゼミは、15年後に羽化するものもいれば18年後に羽化するものもいる。表は、互いの幼虫期間の間の最小公倍数を示すが、混血ゼミはこの最小公倍数の年に共に羽化するため、この年が再度混血が生まれ易い年となる。混血ゼミは土中期間を上手くコントロールできないセミでもあるため、生存確率は純血ゼミより小さくなる。このように考えると、最小公倍数が一番大きくなる素数ゼミが、混血ゼミが生まれる確率が一番小さくなるため、生き残る確率が一番高くなる。このような理由で北米の北部では17年ゼミが、南部では13年ゼミが氷河期を生き抜き、現在においても周期的に大発生していると考えられる。



お寺の住職の葬儀

 今日は妻の母方の叔父の葬儀であった。その叔父さんは寺の住職でかつ中学校の先生を務めた人であり、昭和6年生まれで享年90才の大往生であった。私もここまで色んな葬儀に参列してきたが、お寺の住職の葬儀は今日が初めてであった。
 場所はもちろん住職の寺にてであり、住職の宗派である曹洞宗の様式に従い、ドラや鐘、木魚やにょうはち(シンバル)を使ってにぎにぎしく始まった。本堂に向かって中央正面に、導師様3人が消防士のような肩まで掛かる立帽子をかぶって座り、左手にはお坊さんたちが十数名、右手には親族と一般参列者。僧侶20名がベートーベンの第九のように読経する荘厳な式の始まりとなった。
 一通りの読経が済んだ後、弔辞が始まった。1番目と2番目が どこそこの住職の、3番目が富山市立中学校の校長先生の、そして最後の4番目が故人の教え子で、昭和34年XX中学校3年2組代表のおばあちゃんによる弔辞となった。4人もの人が弔辞を読むというのは生まれて初めての経験であった。
 その後3人の導師様のパフォーマンスが始まった。一人目は極楽浄土へ送るお経、二人目が立てたお茶をこれからの旅路に添え、三人目が松明でもって送り出す、今まで見たことも聞いたこともないような立ち振る舞いを見学することができた。
 続いて弔電が読まれた。一番目は曹洞宗大本山永平寺貫主からであり、伝え聞くところによれば、故人は戦後永平寺が融資を必要とした際に、銀行側と掛け合い融資を成功させたそうで、永平寺からは相当感謝されているとのことだった。
 続いて参列者の焼香となり、祭壇までの途中に故人に授与された 瑞寶雙光章 の賞状と勲章が飾られていた。昭和6年と言えば満州事変が始まった年であり、故人が生まれてからの14年間は戦争の中で苦労の連続であったことであろう。その後苦学して大学を卒業され数々の業績を残し旅立たれたことになる。ご冥福を祈った。
 午前10時から始まった葬儀は、途中から梅雨明けのような日差しが入る蒸し暑い式とはなったが、初めての経験づくしで、一時間半があっと言う間に過ぎた。

 人はいずれ死にゆく生き物である。先日読んだ本には、「生物は進化の末、寿命というタイムリミットを手に入れ、死ぬことができるようになった」と書いてあった。確かに、不老不死の生物がいる。ノーベル賞受賞者山中伸弥博士は、IPS細胞は不老不死だと言っていた。最も身近な不老不死の厄介者はガン細胞である。この地球に初めて生物が誕生した頃、その単細胞生物は不老不死であったが、その後進化の過程で有性生殖という繁殖の仕方を身に着け、それと同時に寿命という宿命を手に入れたらしい。死ぬということを不幸と思うのではなく、死ぬことができるようになった進化の重みを噛みしめるべきなのであろう。一つ真実が分かる度に また一つ悟りが開けていく。

東京は今日から緊急事態宣言

 東京は今日から緊急事態宣言に入った。娘は一足先、まだまん延防止警報発令中の東京から安全な田舎の富山に疎開して来ており、今更ながら早めの里帰りで良かったと思った。娘はテレワークにて東京での仕事をこの富山の家で続けており、今日は年金族の私が、娘のテレワーク中に娘の寝室に掃除機を掛けた。テレワークはLDKの食卓でやっている。出産里帰りに入り10日が過ぎた。今日は私もアルバイトの仕事をした。食卓を挟んで娘と はす向かいでテレワークをする日が来るとは、誰が想像できたであろうか?

ジャガイモは自分思い

 今日、雨が止む予報となったので、延期となっていたジャガイモの収穫を行った。f:id:TatsuyaYokohori:20210710150506p:plain
今年は5月と6月の風が強い日に、伸びて来た茎が皆なぎ倒されることが2回あり、その後 手入れをせず放ったらかしにしたため、出来は良くなかった。それでも写真にある量が穫れたのでまずまずだった。
 通常ジャガイモの収穫は、茎を引っ張るとイモが掘り起こされて来る形だが、収穫が延び延びとなってしまった我が家のジャガイモは、雨に萎えた茎を引っ張ると根本でぷつりと切れてしまった。それで、遠巻きにスコップで掘り起こして収穫した。
 掘り起こし作業をしながら、『これらのイモは、ジャガイモの子種ではなく遺伝子が同じ形見のクローンだ』と思った。ジャガイモは地下茎で冬を越す多年草だったのだ。そう思って掘ると、ジャガイモは来年の自分の活動範囲を広げるため、遠い位置まで地下茎を伸ばしイモを作っていることが良く分かる。元気な株ほどより遠くまで地下茎を伸ばしていた。
 ジャガイモの畝の横には、成長中のミニトマトの畝があるが、その中で一株だけ、地面にすれすれのところにある実が色づき始めていた。それは、成長が良い2つの大きな株に挟まれた一番成長が悪い株だった。ふと『植物は、環境から自分の最終到達点を読み取り、身の丈に合った人生を送ろうとするのだろう』と思った。二つの大株に挟まれて、日照不足で成長スピードも上がらない小株にとって、これ以上背丈を伸ばす方へエネルギーを使うのではなく、実の方にエネルギーを割くべきだと直感したに違いない。植物には、回りの環境を感じ取る力があり、そんな知覚の方法まで遺伝子に刻まれているのだろうか? と不思議な気持ちになった。



緊急事態宣言下無観客オリンピック開催決定

 政府が昨日、12日から東京に緊急事態宣言を発令することを決め、また4都県でのオリンピック競技を無観客で行うと発表した。誠に残念なことである。今回の政府の対応は、東京都議会選挙結果を受けての早めの処置に見えるが、私は、世論がマスメディアのミスリードにより間違った方向に動いていると思っており、政府としては「あるべき方向」に世論誘導して欲しかったという気持ちである。
 私は以前から、「新型コロナ対策は、感染者数ではなく死者数を基準とすべき」と考えており、この考えは、ワクチン接種が進む現フェーズにおいては一層顕著になってきている。6月6日のブログでは、ワクチンの効果により各国がどういう状態になっているかを比較し考察したが、今日も同じことをやってみた。
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 上表は、10万人当たりの新規感染者数と死者数とを直近の7日平均にて比較したものである。英国については、デルタ株の影響により感染者数は前回6月より急激に増えたが、死者数は低く抑えられたままでいる。米国では、前回より感染者数も死者数も低減している。そして、この改善された両国の値は、日本の値よりも悪いのである。
 この感染症はだんだん「都会の病気」になってきた。日本においても、騒いでいるのは東京都とその近県のみである。上表の右端列は、リバウンドが顕著になった東京都の昨日と一昨日の平均値を示しているが、死者数においては、東京都と日本全国平均は同等であり、英国や米国よりかなり低いことが分かる。ここで死者数を基準に対策を考えるとの方針に切り替えれば、東京都の値は米国の値より低く抑えられているので、入場制限が撤廃された米国大リーグに習って、オリンピックは入場制限無しでやっても良いことになる。
 対策は科学的に行うべき との意見があるが、シミュレーションを科学と考えるのは間違いである。感染シミュレーションは経済学者の株価予測と同じように外れることが多いと思った方が良い。しかも感染シミュレーションは、「厳しめな結果を出すことをヨシとする」を原則として出される。厳しめに出して世の中に警告を与える方が、結果が外れても「警告を出して皆が注意したから、結果として良かった」と言い訳できるからである。そして最悪なのは、未だに感染者数をシミュレーション対象としている点である。
 政府は今回も、緊急事態宣言下での酒類提供の厳格化を表明している。科学的にやろうとするなら、科学とは言えないが、せめて統計データを使って「感染確率が最も高い家庭内感染を抑えるため、1都3県の住民は今後家庭内でもマスク会食すること」と言うべきである。そしてこれが馬鹿げたことと理解できるなら、同様にして酒類提供の厳格化が馬鹿げた施策と理解すべきである。